元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

典型的な妄想の言語化

 今日は出勤日で、富谷市にお邪魔しました。

オシャレなとみやどの風景

 ところで、サラリーマンはよっぽどの権力がない限り、「与えられた部下」で結果を出さなければなりません。なので「部下を活かすこと」が基本となります。が、どうしても結果を出せずに、ふと口をついて出る言葉があります。「もっと優秀な部下がいたら、私はもっともっと結果を出るのに・・・はぁ~(*´Д`)」と。(笑)

 この言葉が、部下のやる気を削いでいることに気づきません。「GADHA」代表の中川瑛さんが、著書の『孤独になることば、人と生きることば』(扶桑社)の中で、妄想の言語化について書いていましたので引用します。

・・一緒に緒に言葉を作ることのできない人は、相手の言葉を徹底的に破壊します。「なんでそんなやり方するの?」「馬鹿」「ちょっとでも改善を考えたことないの?」「よくこれで今までやってこれたね」などと、相手の持つ「仕事のやり方」という言葉、その意味を破壊していきます。

「なんでも意見を言ってね」はとんでもない嘘です。

人は、自分の言葉を破壊する人には、だんだん自分の言葉を共有しなくなります。自分の言葉とは、自分の世界そのものです。それを壊されれば壊されるほど、自分が何をよいと感じ、何に怒り、何に悲しむかといったことすらわからなくなってしまいます。自分がなくなっていくこと、これほど恐ろしいことはないのです。

日常的に言葉を壊された人が「意見を言ってね」と言われても、恐ろしいだけです。実際、無理矢理意見を言わされればどれもこれも切って捨て、いっそ切って捨てるために聞いているようでさえあります。切って捨てるたび「やはり自分はすごい」という世界が強固になるからです。

その結果、当然ながら「一緒に」言葉を作ることはありません。いつでも、意見が違うときには、自分が持っている言葉を相手に使わせようとします。「仕事のやり方」とはこれが正解であり、それを選ばないのは間違っているからです。

でも、もしかしたら文章で整理するのが得意な人と、図解するのが得意な人とでは、仕事の仕方が違うかもしれません。後者の人に、むりやり文章のみで整理した書類を作らせると、かえって効率が落ちることもあるでしょう。仕事の目的が共有できているからといって、仕事の方法を同じにする必要は必ずしもありません。

しかし「自分はすごい」と思っている人間は、時に「自分のやり方は誰にでも当てはまる素晴らしいものだ」とか「自分のやり方を採用しないのは馬鹿だ」と考え、押し付けます。そして、感謝を求めるのです。よいものを与えてやったのだから、自分では辿り着けないものを教えたのだから、教えてもらえたことに感謝し、喜んでその方法を採用しないと「おかしい」のです。

これは、典型的な妄想の言語化です。実際に起きている現象を説明する言葉が、間違っているのです。実際には人によって得意なやり方は違うし、力を発揮できる方法も違います。にもかかわらず自分のやり方のほうが正しいと思っているのは、妄想なのです。現実から始めずに、妄想から始めています。その妄想とは「自分はすごい」という妄想です。