元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

布団とは、単に睡眠をとる場所ではない。

 今日は、野菜を収穫した後は、放置していたスナップエンドウの棚をやっと片づけました。間もなく来春収穫するための播種の時期です。やれやれです。(笑)

今年の落花生は日照不足で粒が小さめです。

 ところで、近頃朝の気温が気持ちよくて布団から出られません。(笑)ベッドではないので、毎日たたんでいますが、この行為には意外な効果があるようです。

 桃野泰徳さんがそのブログの中で、「布団とは、単に睡眠をとる場所ではないのではないのか。本当の意味で面(おもて)を外し化粧を落とし、自分の顔に戻ることができる唯一の場所」と説いています。なるほどです。ちょと長いですが、抜粋して引用します。

・・1か月ほど前、Facebookでのなにげない発信に、1000を超えるイイネ!をもらうことがあった。護衛艦を見学させてもらった際に艦長私室に入れて頂き、その際の整理整頓ぶりに驚いた体験を投稿したものだ。

 若い自衛官が折り目正しく布団を整頓することはよく知られているが、艦長クラスでもこうなのかと驚き、思わず写真に収めた。もっとも、艦長クラスの寝室は下士官などの士官室係が整頓しているというのが、本当のところのようだが。

 それはともかくとして、ふと思ったことがある。よく考えたらこれは、驚くようなことなのだろうか。思い返せば自分自身、大学を卒業するまで過ごした実家では、畳の自室で寝ていたこともあり毎朝、布団はキレイにたたんで押し入れにしまっていた。万が一、敷きっぱなしで学校に行こうものなら、母親から猛烈に怒られたものだ。修学旅行など外泊を伴うイベントの時には、こんなふうに説教をされる。

「いつも以上に折り目正しくたたんでから、出掛けなさい!」

 実家を出てからというもの、ずっと洋室にベッドだった。そんなこともあり、毎朝起きた後は適当に布団を直すだけで、整理整頓などしなくなっていた。そう思うと急に、“自衛官の整理整頓”に驚いたことそのものが、恥ずかしくなる。そのため毎朝起きると必ず、写真のように折り目正しく寝具を整頓することから、一日を始めることにする。すると程なくして、自分でも驚くほど心境の変化を感じるようになり始めた。

 

 話は変わるが、日本を代表する伝統芸能の一つ、能と歌舞伎についてだ。能楽では、面(おもて)によって役者を演じ分けるのに対し、歌舞伎では化粧によって演じ分ける。例えば善人や高貴な人物の場合には白の下地を、町人や悪人では茶肌色を、悪人の手下や家来を表す際には赤という具合だ。

 能では面をかけた瞬間に、歌舞伎では化粧を施された瞬間に、役者たちは別人格を自分に降ろす。そしてその瞬間から高貴な人物になり、貧しい町人になり、あるいは荒々しい悪人としての役割を演じる。

 この「化粧が持つ力」については、多くの女性が日々、むしろ当然のように感じているのだろう。しっかりとメイクが決まり、美容院でキレイにしてもらった日には、なんとも言えない自信と力を感じ気分が上がるはずだ。面や化粧、すなわち“顔”にはそれほどに、人を変える力がある。

 そう思った時、ふと疑問に思うことがある。長年会社に勤め、ある程度の成果を上げるとある日、課長に昇進し、あるいは部長職を命じられることもあるだろう。その瞬間から人は、10人を束ねる課長になり、100人のトップである部長になり、部下たちはその“顔”を見るようになる。

 その時、私たちは演じるべき「課長の面(おもて)」「部長の化粧」という“顏”を、いつどこで学んだだろうか。役職とはそういうものだ。望もうが望むまいが、役職に応じた“顏”を演じなければならない。にもかかわらず、そんなものは誰も知らないし学んだこともない。だからこそ多くの人は、身近なモデルケースを模倣しようとするところから始めるのだろう。

 しかし性格もやり方も違う上司を学んだところで、そう簡単に上手くいくわけがない。そのようにして、中間管理職などの役職に就いた人は心身を削られ、ストレスから体を壊す。

 その意味で、私の若い頃の体験はかなり極端なものだった。29歳にして800人の会社で、縁あってNo.2 になったのだから、どんな“顔”をしていいのか全く分からない。模倣すべき相手すら、全くいない。銀行からの斡旋で経営の立て直しを担ったのだから、社員もみな、雰囲気は敵扱いである。

「また新しい偉い人が、無駄な仕事を指示しに来たのですよね?」

 初めて製造現場に降りた時、現場を束ねる管理職の女性からいきなり言われたそんな言葉は、今も忘れられない。とはいえ、速やかに成果を出さないと会社も従業員も、もちろん私も終わる。

(こういう時、どういう“顔”をすれば、思わず嬉しくなるものだろうか…)頭を巡らし、とっさに応える。

「今までの“偉い人”は、どんな無駄な仕事を指示していたのですか?」

「…例えば日報ですよ!工場長も部長も本部長も、外から来た偉い人は皆、同じような内容の日報ばかり。毎日毎日、1時間も無駄にしてるんです!」

「その日報を今、見せてもらうことはできますか?」

「…できますけど」

 そうして出された3種類の日報は、なるほど似たようなデータの要求に加え、その日の気持ちや反省など、小学生の日記以下だ。こんなものを3通も毎日出すよう求められたら、ストレスにならないわけがない。

「少しフロアの隅っこの机、お借りしますね」

 そういうと私は、それら日報が要求しているデータをすべて、業務システムからボタン一つで転記できるマクロを組む。さらに3種類を一つにまとめ、無駄な報告欄を省き3分で作成可能な日報のフォーマットに作り替えた。

「ボタン一つで必要な日報ができるようにしました。3通も1つにまとめましたので、今日からこれを送るだけで十分です。工場長、部長、本部長にはこの後すぐ、私が連絡しておきます」

「えぇ!嘘やろ!」

「いえ、課長がおっしゃるように今までが無駄だったのです。私はこういう無駄を排除するために、ここにきました」

 すると彼女はフロアに向け振り返ると、大きな声で指示を出した。

「みんなー!今度の偉い人、ちょっとは使えそうやで!少しだけ信じてみよか~」

 どっと笑う、部下の社員たち。口は悪いが、ストレートに気持ちが伝わるとても嬉しい言葉だった。

 とっさに作った“偉い人としての顏”だったが、どうやら正解だったようでホッとする。その後、彼女は長く、経営の立て直しに無くてはならないパートナーになる。そしてたくさんの知恵を貸してくれて、TAM(事業再生責任者)の役割を全うする大きな力になってくれた。その第一歩になった、忘れがたい想い出の一つだ。本当に私は、運が良かった。

 

 話は冒頭の、寝具の整頓についてだ。自衛官のように寝室を片付けることで、どんな心境の変化を感じるようになったのか。

 思えば私たちは、布団から出た瞬間から様々な“顏”を演じるよう社会から求められる。部長、課長、夫、妻、父、母、学生さん、子供…。一人暮らしであっても、お隣さんがくれば「善良な隣人」の顔を演じる。

 そう思うと布団とは、単に睡眠をとる場所ではないのではないのか。本当の意味で面(おもて)を外し化粧を落とし、自分の顔に戻ることができる唯一の場所ではないのか。だからこそ、その特別な場所を折り目正しく清潔にして朝、別れを告げることで、一日の始まりが特別なものに感じられるようになる。

 思えば母が、旅行に行く時こそいつも以上に整理整頓に厳しかったのは、こういうことなのだろう。

「寝具を散らかしたまま死ぬような、恥知らずな真似だけはやめなさい」

 確かに、もし何かあった場合に家族や関係者は、故人の私室に必ず入る。その時にもし、部屋も寝具もみっともなく散らかっていたら、ガッカリするだろう。逆にキレイに整理整頓されていたら、それだけで故人への想いが募る。文字通り、「今日死ぬかもしれない」任務に向かう自衛官であればなおさらである。寝具や私室の整理整頓が基本中の基本であるのは当然であり、驚くことが失礼だったのかもしれない。

 そしてそれは、一般人でも同じはずだ。布団を出た瞬間から、母という面をかけ子供や学校と接し、部長という化粧をして部下たちや顧客と向き合う“戦場”に出かける。そのほとんどのことは、思い通りにならない文字通りの戦場だ。時に疲れ果て、もう嫌になり、”面”や”化粧”を落としてしまいたくなる。

 そんな時こそ、折り目正しく寝具を整理整頓していれば、きっとこんなことを感じる。

「あ…布団に帰ってきた」

 キレイに折りたたんだ寝具を開くとき、それを実感する。全ての面(おもて)を外し化粧を落として、何の役割も求められない自分に戻れるとホッとする。人によって、感じることは様々かもしれない。しかし少なくとも、この朝のたった1分の整理整頓で思わぬ気付きを得られることがある。ぜひ、多くの人に一度、やってみて欲しい。

 

知性と機嫌は決して結びついてはいない。

 今日は雨。ということで、野菜を出荷した後はお休みをいただき、ブログを基に、作業状況を整理していました。3~5年間の記録を横並びにすることで、予定を立てやすくなります。やはり、記録は大切です。(笑)

「大納言小豆」が順調に実をつけています。

 ところで、昨日のブログで「楽観的で上機嫌の状態を作っていると、人は幸せになる」と掲載しましたが、最近やたらと「カスハラ」や「フキハラ」がよく話題になります。明治大学教授の齋藤孝さんがその著書『不機嫌は罪である (角川新書)』の中で、「現代人は四六時中誰かの不機嫌な言動にさらされ、ちょっとずつ精神を消耗しています。そして自らも、知らず知らずのうちに不機嫌に侵食されてしまっているのです。」と説いています。抜粋して引用します。

・・あなたは日々の生活のなかで、次のような人を見かけたことがないでしょうか。朝の通勤ラッシュ時、満員電車で少し肩を押されただけで舌打ちをしている人。ご近所同士で挨拶しようとすると、スタスタと歩いていってしまう人。スーパーマーケットで小さな子どもが泣き出しただけで、眉(まゆ)をひそめる人。飲食店のスタッフが少し雑談をしているだけで、クレームをつける人。電車がちょっとでも遅延すると、駅員に詰め寄って怒鳴る人。ベビーカーを見かけると、「邪魔」という感情を隠さない人。朝出社したときに、同僚に挨拶もせず、仏頂面でデスクに向かう人。会議で自分の提案がうまく通らなかったといって、つっけんどんになる人。部下が失敗したときに、周囲の目も気にせず、ヒステリックに怒鳴りつける人。

 挙げていくときりがありませんね。どれも、おそらく心当たりのある光景ではないでしょうか。しかもこうした行動をとっている人には、地位も分別もありそうな方もかなりいらっしゃいます。もしかしたら、あなた自身もこれらの行動をとってしまい、後悔したこともあるかもしれません。あるいは、自分がそうした行動をとっていることに気づかずに、周囲から「あの人って不機嫌だな」と敬遠されている可能性もあります。

 機嫌とは、人の表情や態度に表れる快・不快の状態です。つまり不機嫌とは、不快な気分を表情や態度に表しているさまをいう言葉です。現代を生きる人の多くがかかえているのは、行き場のない「慢性的な不機嫌」です。

 情報伝達の差し迫った必要性があるわけでもなく、不快であることを伝えても事態は何も解決しないのに、無意味な不機嫌を世の中に撒(ま)き散らしている人があまりにも多い。電車の中で舌打ちしたからといって、満員電車が解消されるでしょうか?インターネットで書き散らした罵倒(ばとう)が、社会を良くしたことがあったでしょうか?誰も「舌打ちや罵倒をしたら事態が良くなる」と思っているわけではないのに、表に不機嫌が滲(にじ)み出てしまっている。

 現代人は四六時中誰かの不機嫌な言動にさらされ、ちょっとずつ精神を消耗しています。そして自らも、知らず知らずのうちに不機嫌に侵食されてしまっているのです。

 中年から老年にかけての男性の不機嫌の問題をいち早く取り上げたのが、シェイクスピアの『リア王』でした。リア王は、愛情深い末娘が自分におべっかを使わないことに激昂(げきこう)して彼女を追放し、甘言を弄(ろう)する上の娘たちをかわいがった結果、身を破滅させて荒野をさまようことになります。老人の不機嫌が招く悲劇をこれ以上なく描いた作品です。

 さすがにこの本をお読みの方の中に国王はいないでしょうが、身につまされる教訓が詰まった作品です。プチ「リア王」にならないためにも、まずは自分の不機嫌に自覚的になってみてください。「40歳を過ぎたら、普通にしていても不機嫌そうに見える。上機嫌くらいでちょうどいい」と自覚するだけでも変化が起きます。

 「いつも上機嫌」と聞いたとき、あなたはどんな印象を抱くでしょうか?お調子者で何も考えていない不用意な人なのではないかと考える人も多いかと思います。逆に「いつも不機嫌」というと、しかつめらしい顔をして難しいことを考えている、つまり「頭がいい人」と考えるのではないでしょうか。知的な人間はやたらとニコニコと愛想よくふるまわない、作家や学者というのは根暗で不機嫌なものだという風潮が根強く存在しています。

 まず正しておきたい誤解が、知性と機嫌は決して結びついてはいないということです。機嫌というのは、理性や知性とは相反する分野のように思われがちですが、気分をコントロールすることは立派な知的能力の一つです。

 仏頂面をしている人、他人に辛辣(しんらつ)なことを言う人のほうが、よく物を考えているように思えるかもしれません。ところが実際は、前向きに生産性のあることを考えている人の頭やからだは柔軟に動いています。表情もやわらかですし、ポジティブな空気を発するものなのです。

 不機嫌がクセになると、頭も身体も動きにくくなります。運動不足と同じで、こころの運動能力が下がってしまうんですね。気分をコントロールすることはこころの運動能力を維持し、仕事や人間関係のパフォーマンスを上げる知的技術です。

機嫌よくいることですべて解決する。

 今日は明日が雨ということで、全集中でマルチを張り、「ニンニク」を定植し、「雪菜」を播種しました。一応予定どおり作業を終えました。バテバテですので、晩酌が楽しみです。(笑)

芽だしをしたニンニク

疲れました。(笑)

 ところで、9月24日のブログで「楽観的で上機嫌の状態を作っていると、人は幸せになる」と齋藤孝さんの言葉を紹介しましたが、斎藤一人さんもその著書『​斎藤一人 いますぐ自分を好きになる言葉』(​永岡書店)の中で同様なことを説いていました。抜粋して引用します。

・・神は、人間に大きく二つの修行をつくりました。それは、「人間関係」と 「お金」です。そして多くの人は、「人間関係は自分の努力でなんとかできそうだけど、お金の問題は厳しい」と言います。 

 でも、一人さん的にはこう思う。この二つはつながっていて、一点集中すれば両方ともうまくいく。この、集中すべき一点とはなにか、というと。 「上気元(​じょうきげん/一人さんは、上機嫌をこう書きます)」なんです。 

 自分で自分の機嫌を取ることに徹すると、まず人間関係が劇的によくなります。みんな、安定的に機嫌のいい人が好きだからね。人に好かれたら、仕事でもなんでも評価されやすい。出世もすれば、給料も増えます。

 それに、上気元な人は、困っていると周りがすぐ助けてくれます。方々からいろんな知恵が出てきて救われるの。なにより、上気元は神がいちばん喜ぶ生き方だからね。上気元は最高の徳積みであり、それで運が悪くなるはずなんてありえないのです。

 《機嫌よくいることですべて解決する。上気元の人に困ったことは起 きないし、起きても周りが放っておかない。 一生、安泰なんだ。》

喜ばせることに自己犠牲があると、義務感になります。

 今日は午前中所用があったので、午後から集中して畝たて、マルチ張り作業行いました。作業にはもってこいの天気で、ほぼ予定通り終了しました。

昨日はカラス対策で「落花生」にネットを架けました。

耕運機で畝たて作業。

 ところで、人に喜ばれることをするのはいいことですが、その行為がストレスになっている人もいます。

 山根洋士さんがその著書『ありのままでラクに生きる練習』(アスコム)の中で『喜ばせることに自己犠牲があると、「喜ばせなければいけないんだ」という義務感になります。「自分も楽しいし相手も楽しい」と、「自分はたいへんだけど相手は楽しい」は大違い。』と説きます。抜粋して引用します。

・・人の評価が気になって仕方ない、繊細さん

【ノイズの症状あるある】

・誰かに言われた一言が気になって、相手の気持ちを想像して不安になる

・自分の一挙手一投足で、怒らせたかも、嫌われたかもと被害妄想をする

・どう思われるか気になり過ぎてSNSに投稿できない

・その場は楽しいのに、後になって心配事が湧いてくることが多い

・場を盛り上げようとして頑張るけど、ひとりになるとぐったり疲れる

 人に喜んでもらえるのはうれしいもの。でも、そのことばっかり考えて、相手の顔色が気になって仕方がなくなる、自分を犠牲にしてまで他人を喜ばせてしまうのがこのタイプ。

 少しでも暗い表情をしたり、けげんな顔をしたりすると、「どうしたのかな?」「なんか気にすること言ったかな?」と気になる。しかも、そういうちょっとした表情やしぐさを見逃さない。ほかの人といるだけで、どんどん疲れてしまいます。

 

 人の評価が気になる人にあるのは、「おもてなしノイズ」です。このノイズは、サービス精神旺盛な家族のいる環境で育つとつくられます。

・地元の祭りがあると、仕事を休んででも参加するお父さん。

・家に誰かが遊びに来ると、食べきれないくらいのごちそうをつくるお母さん。

・夏休みに親戚の子どもが遊びに来るとなると、いつも以上に気合いが入るお母さん。

 「人のためになることをしなさい」「人に喜んでもらうとお金が儲かるんだよ」と、親に教えられると「人を喜ばせるのはいいことだな」と子どもは思い込みます。

 でも、祭りから帰ってきたお父さんが疲れた顔をしていたり、お客さんが帰った後にお母さんがしんどそうな顔をしていたりすると、子どもは 「自分はがまんしてでも喜ばせたほうがいいんだ」と勘違いしてしまいます。

 喜ばせることに自己犠牲があると、「喜ばせなければいけないんだ」という義務感になります。「自分も楽しいし相手も楽しい」と、「自分はたいへんだけど相手は楽しい」は大違い。

 「おもてなしノイズ」にやられると、まわりは喜んでくれても、いつか自分が疲れ果てて燃え尽きます。そうならないために、自分の喜びと人の喜びの関係性を逆転させないといけません。

 自分は楽しくないけど人が喜ぶことは少しずつやめて、自分も楽しくて人も喜んでくれることの比重を、できるところから増やしていけるといいですね。

 

思いどおりにしようとしないこと。

 今日は午後から所用があったので、苗に水かけだけで終わろうと思いましたが、なんと「落花生」をカラスが食べていました。まぁ、「そろそろ食べ頃だよ」と教えてくれているのですが、早速ネットを張って防御しました。(笑)

長雨と日照不足で収穫量も品質も取引価格も低下。四苦八苦です。

 ところで、「悩める人生」というのが当たり前ですが、いろいろ悩んだ末にたどり着くのは、やはり小林正観さんの「思いどおりにしようという心が著しく少ない人ほど、楽に静かに楽しく生きることができる」と言う言葉です。理屈ではわかっていますが、「大自然の法則は、思う通りにならないように出来ている」というのを忘れてしまいます。(笑)大切な言葉なので、小林正観さんの著書『釈迦の教えは「感謝」だった』(風雲社)から再度抜粋して引用します。

・・「自分の子供が不登校になってしまった。どうしたらいいだろう」という相談を受けたという話を書きました。結局、不登校になった子供を受け容れれば、受け容れた瞬間に、その問題は何も生じなくなってしまうのです。問題が解決してしまうというよりは、問題そのものがなかったということに気がつきます。

 「問題だ、問題だ」と言っていた自分の問題であって、もともと不登校そのものが問題なのではなくて、それを「問題だ、問題だ」と言っている自分の心の問題として、それが悩み・苦しみになってしまったということでした。子供が不登校になった、学校に行かなくなった。ただそれを淡々とした事実として受け容れた瞬間に、子供にとっても自分にとっても、何の悩みも苦しみもなくなってしまうのです。

 思いどおりにしようとしないこと。それはイコール、その目の前の現象を受け容れるということでもあります。生老病死(しょうろうびょうし)、生まれること、老いること、病むこと、死ぬことも、そのまま受け容れる。そうすると、悩み・苦しみから遠ざかることができます。悩み・苦しみを持たなくても済むことができます。

 病気をしたら病気をしたでよし。死ぬようになったら死ぬようになってそれでよし。愛している人と別れなければいけない状況になったらそれもよし。それについて評価・評論をしない。感想もいちいち言わない。「ああ、そういうふうになりましたか」というふうに受け容れることが、自分にとっていちばん楽なのです。

 そんなに簡単に受け容れられるわけがないではないかと言う人がいるかもしれません。私は受け容れる「べき」だという理論を展開しようとは思っていません。受け容れることでいちばん得をするのは、いちばん楽になるのは、受け容れた本人なのですから。

 私は、こうするべきだ、ああするべきだというような「べき論」として話をしているのではありません。悩み・苦しみが多い人は、実は自分の思いがたくさんあり、それを想いどおりにしなければいけない。思いどおりにならなければ嫌だと思う「思い」がたくさんあるという宇宙の構造や事実に気がついてしまったのです。悩み・苦しみが多い人は、「思い」が強い。あるいは「思い」をたくさん持っている人にほかなりません。

 宇宙に、地球に、すべてを委ねている人、自分の思いや我儘(わがまま)をほとんど言わないで、静かに穏やかに穏やかに淡々と暮らしている人ほど、悩み・苦しみは少ないのです。

 ほとんど悩んでいなくて、苦しんでいなくて、いつも笑顔で静かに穏やかに暮らしている人を私はたくさん知っています。そういう人はほとんどの人が「思い」を持っていません。思いどおりにしようという心が著しく少ない人ほど、楽に静かに楽しく生きることができるように思います。

「気分のよくなる行動」をして気持ちを切り替える。

 晴天二日目。近隣の農家の人たちが一斉に外に出て、稲刈りや畑の耕運作業を始めました。とても気持ちのいい秋風も吹き、癒されました。

パルシードF1出動

なんとか耕運出来ました。

 ところで、ストレス解消のため、元気村にやってくる村民もいます。精神科医の藤野智哉さんがその著書『人生が自動的にうまくいくレッスン 仕事・人間関係がラクになる認知行動療法のエッセンス』(ディスカヴァー)の中で、『気分転換のための「小さな武器」をたくさん用意しておくこと』と説いています。抜粋して引用します。是非、気分転換に元気村にお越しください。(笑)

・・ストレスを感じたとき、私たちはつい「そのこと」ばかりを考えてしまいますよね。

 たとえば、自分のミスを思い出して、「なんであんなことをしたんだろう」「取り返しがつかないかも」とぐるぐると考えてしまいます。取引先の人が苦手で「あの言い方はひどい」「担当を変わらないかな」とイライラしたり、愚痴を言い続けてしまうこともあったりします。

 こんな無限ループ状態になっているときは、気分を変えられるといいですよね。そんなときに知っておいてほしいのが「コーピング」という考え方です。コーピングとは、ストレスを感じたときに、気持ちを立て直したり、状況をやりすごしたりするための具体的な対処法のこと。

 たとえば、ストレスを感じる出来事があって悩んでいるとき、「パーッとカラオケに 行って思いきり発散しちゃおう」なんてことやりますよね。これも立派なコーピングです。 

 ストレスに飲み込まれているときは、「気分を変えよう」と思ってもなかなかできません。 だから、がんばって気持ちを切り替えようとするより、「気分のよくなる行動」をして気持ちを切り替えるのです。 

 ちょっとだけ別の行動(コーピング)をとることで、さっきまでのストレスでいっぱいの状況から、ほんの少し外に出ることができます。コーピングは「本格的でちゃんとしたものでなくていい。とにかくたくさんもっているほうがいい」という考え方が主流です。気分転換のための「小さな武器」をたくさん用意しておくイメージです。 

 質よりも量。とにかくたくさん用意する。それは、選択肢が多ければ多いほど、その場の状況に合ったものを選べるからです。「この武器が効かない? なら、あっちの武器だ」とばかりにいろいろ試せます。 

 たとえば、「近所を散歩する」「ヨガやストレッチをする」「お風呂に入る」など体を使ったコーピングもあります。「推しのグッズを眺める」「音楽を聴く」「お気に入りのカフェに行く」「スイーツを食べる」など、好きなことがあればあるほどコーピングは増えていきます。「ベランダに出て空を見る」「好きな猫動画を5分だけ見る」「お気に入りのマグカップでコーヒーを飲む」くらい小さくて、気楽なものでも全然OKです。むしろそういうものをたくさんもっておくことが大事なのです。 

 コーピングを集めるときに、もうひとつ意識してほしいポイントが「時間」と「お金」の観点です。旅行や外食も立派なコーピングですが、ストレスを感じた瞬間にすぐ試せるわけではありません。仕事中に急に気持ちが落ち込んだとき、「よし、温泉に行こう」とはなりませんよね。時間もお金もかかってしまいます。だからタイパ・コスパのよいコーピングを増やしてみてください。

心配ごとの97%は現実にならなかった。

 今日は久々に朝から太陽が出ました。思わず拝んでしまいました。(笑)・・ということで、いざ、トラクター出動!!と張り切りましたが、残念ながらまだ乾ききっていないため、明日に延期です。なので、野菜の残渣整理や使い終わったマルチ剥がしの重労働がメインとなり、晩酌のビールに期待です。(笑)

野菜の残渣整理をしながらマルチ剥がし。

 ところで、昨日のブログで堀田秀吾さんの著書『心理学×脳科学×行動経済学で科学的に証明された 悩まない人の習慣』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)から「決断にかける時間の長さと満足度は比例しない」と紹介しましたが、同書の中で「心配ごとの97%は現実にならなかった」とも説いています。抜粋して引用します。

・・実際に、心配ごとはどれくらいの確率で当たるのかを調べた研究があります。

 ペンシルベニア州立大学のラフレニエールとニューマンは、全般性不安症と診断された29人を対象に調査を行いました(全般性不安症:心配ごとが次から次へと浮かんで止まらなくなり、日常生活に支障が出るほどになった状態のこと)。

 参加者は10日間、通知が届くたびにいま頭にある心配ごとを記録しました。そして毎晩それを見直し、その心配ごとが現実になったかどうかを30日間かけて確かめたのです。

 集計してみると、記録されたうち実際に起こったものは1割弱でした。心配ごとの97%は現実にならなかったのです。いちばん多かったのは的中0の人で、29人中7人は記録した心配ごとがひとつも実現しませんでした。しかも実際に起こった心配ごとについても、約79%は思っていたより良い結果だったと本人が認めています。

 この研究からは希望の持てる発見も出てきました。心配ごとが外れた割合の高かった人ほど、治療のあとの症状の改善が大きかったのです。自分の心配ごとが外れていく様子を何度も目撃すること自体に、不安をほどく力があるのでしょう。頭の中で「きっと大丈夫」と唱えるより、外れた記録という動かぬ証拠を集めるほうが、心にはよほど効きます。

 何か心配なことが出てきたら、手帳やスマホに日付と一緒に1行だけメモしておきましょう。金曜の報告会で失敗しそう、子どもの熱が長引きそうなど、何が、いつ、どうなりそうかまで具体的にしておくと、あとで白黒をつけやすくなります。

 そして数日たったら、その横に「全く起こらなかった」「大したことなかった」のように実際はどうなったかを書き足すのです。このメモが、自分の不安を和らげる専用データになっていきます。

【覚えておきたいこと】

・心配ごとが外れた記録が次の不安を和げる

・「もし」が浮かんだら1行だけメモをする