元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

でも、だって・・

 今日は「多羅葉の会」のお花見でした。仙台市野草園での「絵手紙作成ワークショップ」に参加したあと、長町で大宴会でした。(笑)

 野草園は、前期高齢者になると無料になるのだそうです。初めて前期高齢者の恩恵を受けました。(笑)

20年ぶりの野草園

癒しの空間でした。

ピンピンキラリ

 ところで、「でも、だって」と否定的な言葉を使って、できない理由を探す人がいます。やった方がいいと自分でも思っているのでしょうが、なかなか前に進むことが出来ずに、何回も同じことを繰り返してしまいます。

 斎藤一人さんがその著書『斎藤一人 令和の成功 もっと望めばもっと幸せがやってくる』(学研)の中で、否定的な言葉を吐くことは、「赤信号」なのに無視して進むことだよと言っています。なるほどと納得します。抜粋して引用します。

どうしても足りない部分ばかりに意識が向いてしまい、今自分が持っているものに感謝できない人っているんです。 

ちょっとキツい言い方になって申し訳ないけれど、どうしても自分の現状に感謝できないって、ある意味、無知なんだよね。 

ものを知らないの。 

楽しいことを考えて、それを「もっと」 と思えば人生は絶対によくなる。 

成功できるんです。 

そういう知識がないから、現状に感謝できないんだと思うよ。 

あるいは、そういう情報に触れても、ちゃんと理解していなかったり。 

 

信号が赤だったら止まる。 

これは世の中の常識だよね。 

それを、止まるための勇気が欲しいとか、どうしたら止まれるでしょうかって。 

止まるしかないんだよ(笑)。 

赤信号なんだから、止まらないと危ないの(笑)。 

信号無視は、誰が何と言おうと危険なんです。 

 

自分の現状に満足しないって、信号無視と同じことなの。 

俺にとっては、今ある幸せに感謝するのって、赤信号で止まるのと同じくらい当たり前のことなんです。 

信号無視をすれば、ケガをしたり、運が悪ければ死んだりすることもあります。

それがわかっていて、なぜ自ら間違った道へ進むんですかって話なんだ。 

自分の現状に感謝できないとか、不満を感じるって、俺なんかおっかなくてしょうがないよ。 

1日の中で、「現状に感謝する気持ち」と「不満や不安」が何度も行ったり来たりしてしまう人の場合はね、慣れの問題だと思います。

普段は人生を楽しめていても、心のどこかに「簡単に考えちゃいけない」「楽しく考えちゃいけない」という思いが残っていると、急に目の前のことを楽しめなくなったりする。

だから、不満や焦りが押し寄せてきて、将来に不安を感じるんです。

でもね、大丈夫だよ。

「今の自分でいいんだ」「この幸せに感謝しよう」っていう気持ちを意識し続けていれば、不安を感じる時間もだんだん短くなっていくから。

慣れちゃえば、誰でも絶対に、今の環境に感謝できるようになります。

そして最終的には、一人さんみたいに「24時間、いつでも楽しいよ!」って(笑)。

そうなれるまで、諦めずに自分を変えようとすることだよ。

一生かかってもいいから、「赤信号で止まれる」自分にするんだ。

なぜ太るのでしょうか?

 元気村の「雑草」もすくすく育ち、タンポポの花も咲き始めました。なので今日は、ビニールハウス内の草取りを ♬演歌を聞きながら~ 黙々と行いました。ランチは、「そうだ!! これだけ体を酷使したのだから、カロリーを補充しなければ!!」ということで、いつもの町中華「好吃来」さんへ。

 妻からは、食べ過ぎないようにと散々注意されていますが、定期的に食べたくなる「五目焼きそばセット」をいただきました。まいう~(笑)

綺麗!! ですよね。

五目焼きそばセット。止められません。

 ところで、昨日のブログの続きにもなりますが、「食べ過ぎないように注意している」「よく噛んで食べている」「このドーナッツは、真ん中が開いているのでゼロカロリー」とか言っている人が、やはり太ってしまう結果になっています。(笑)

 体(太る) ⇒ 言葉(食べすぎに注意している)⇒ 心(食べても太りたくない)

という関係になりますが、心は「太りたくない」と思っているのに、なぜ太るのでしょうか?(笑)

 それは、潜在意識と顕在意識の関係です。この2つの意識はよく「氷山の一角」に例えられます。顕在意識として表面に現れているのは、自分の心のほんの一部であって、本当の自分の心は、潜在意識となって表に出てきません。その潜在意識がほぼ自分の行動を左右しています。

 つまり、「顕在意識=食べ過ぎに注意している」ですが、「潜在意識=でも無理だろうな」とあきらめている本当の自分がいるのです。言葉では正しいことを言っていても、「体⇒言葉⇒心」の公式は「潜在意識」を考慮しないと成り立たないのですね。(笑)

 

 

歯が痛む理由はなんですか

 昨日は、ふうどばんく東北AGAINさんで行われた、「ピーカンナッツ」の贈呈式に、同席してきました。これは、近畿日本ツーリスト商事さんから寄付していただいた、とても評判のいい、美味しいピーカンナッツですので、スタッフ一同大喜びです。子供食堂に提供した折に、その笑顔の写真を贈ることを「御礼」とすることにしました。近ツリさん、大変ありがとうございました。

いただきました~。感謝。

 ところで、帰り道にあるところへ寄ったら、「歯が痛い」と訴えるご婦人と出会いました。3月28日のブログにアップした「心は言葉に現れ、言葉は体の表現となる」の見本のような症状でした。(笑)

「歯が痛む理由はなんですか」

「たぶん、歯ぎしりしているからだと思います」

「歯ぎしりには2つの意味があります。 1 眠りながら、歯と歯をすり合わせて、きりきり音を立てること。 2 怒りや悔しさから歯をかみしめて音を立てること。です。どちらですか」

「たぶん2番です」

「何に怒りを感じてますか」

「うちの旦那です」

「(笑)どんなことに対して怒りを感じるのですか」

「退職して家にいるのに、なんにもしない。ただ寝っ転がっているだけの姿に怒りを感じています。」

「体の表現 =歯が痛い 言葉=怒りや悔しさ 心=旦那が許せない」

「なるほど~」

と、いうことで歯の痛みの原因が分かりました。(笑) じゃぁどうするかはまた別の機会に。(笑)

好かれる人、人望を集める人

 今日は、暴風と大雨。あまりの雨の多さに、畝を越水してしまうのではないかと心配しましたが、ぎりぎりセーフでした。

 昨年の反省に立って、高畝にしたのが幸いしました。が、これからの気象を考えると「排水」についても工夫が必要なようです、とりあえず「ホッ」。

危うく越水

 ところで、気象は異常で不安ですが、いつも私を安心させてくれる友人がいます。隣にいつもさりげなく寄り添ってくれています。自分を自慢することも、卑下することもなく、いつも笑っています。

 井上裕之さんが、その著書『好かれる人がやっている 人を惹きつける習慣』(すばる舎)の中で、「好かれる人、人望を集める人のシンプルな習慣」について書いていましたので、抜粋して引用します。

なぜか、人から、好かれる人がいます。

なぜか、人から、慕われる人がいます。

こういう人たちは、意識的にも無意識的にも次の5つの習慣を行なっています。

1.人を安心させる習慣

2.人から信頼される習慣

3.価値ある自分をつくる習慣

4.人に与える習慣

5.相手に存在価値を感じさせてあげる習慣

 

安心感を与えられる人は、人から受け入れられます。

拒絶されることなく、距離をとられることがありません。

短期間で親密な関係になれます。

信頼される人は、言葉の説得力が増します。

話を聞き入れてもらえますし、言葉の力で人を動かすことができるようになります。

価値ある人には人が集まってきます。

魅力がある人とは、みながつながりたいと思うものです。 

人に与える人は、すべてを手に入れます。

人は与えられると、お返ししたくなるという原理があります。

与えれば与えるほど、人、仕事、お金、情報が集まってきます。

相手に存在価値を感じさせられる人は、相手の心をわしづかみして、放しません。

「白分に価値がある」と言ってくれる味方を誰もが欲しいのです。

相手にとってあなたは絶対に必要な人間になります。 

きずなが強まります。

僕の仕事ではありませんから

 明日は、暴風雨ということで、シャカリキになって農作業をしてました。疲れ果てて、ふと、見上げるとそこには、なんと「桜」が・・・満開でした。そうです、元気村ファームの隣には「桜並木」があるのです。農作業をしながら花見ができるなんて、ありがたや、アリガタヤ。(笑)

元気村の隣の桜。満開になりました。

お盆用の「ほおずき」を播種しました。

 ところで、昨年9月18日のブログで、山形県西川町の菅野町長の作ったポロシャツを記事にしました。そのポロシャツには「それは、私の仕事ではない、と言わない」という文字がプリントされています。

 精神科医の片田珠美さんが、その著書『職場を腐らせる人たち』(講談社現代新書)の中で、そういう若手社員が増えていて、その対応に困惑する上司の話が出ていました。その気持ち分かります。抜粋して引用します。

・・最近どこの職場でも増えているのが、上司や先輩から言われたことしかしない若手社員である。典型的な指示待ちタイプで、指示されなければ何もせず、ぼうっとしている。先輩や同僚が忙しそうにしていても、手伝わない。上司から「少し手伝ったらどうか」と諭されても、「自分の仕事はちゃんとやっています」「指示がなかったので、僕の仕事だと思いませんでした」などと答え、定時で帰る。

 「僕の仕事ではありませんから」と言って、手伝わない指示待ちタイプというだけならまだしも対処のしようがあるが、なかには持論を繰り返し、自己正当化に終始する若手社員もいる。

 たとえば、IT系企業に勤務する20代の男性社員は、結果さえ出していれば協調性なんて要らないと思っているのか、大量の仕事を抱えた同僚が忙しそうにしていて困っていても、手伝おうとしない。上司が手伝うよう促しても、「僕の仕事ではありませんから」と言って、協力しない。

 上司が「君が困ったら助けてもらうかもしれないのだから、お互い様だと思って、協力するのが同じ課の仲間だろう」と諭しても、「僕、ちゃんと結果出していますよね? 僕、何かおかしなこと言っていますか? そもそも、これは僕がやるべき仕事ですか?」とかたくなに手伝おうとしない。

それどころか、「できない奴の仕事を手伝っていたら、自分の仕事ができないじゃないですか。結局、優秀で真面目な人間にしわ寄せがくるじゃないですか。そんなの真っ平ごめんです」と怒り出す。

 たしかに、この部下が業績をあげているのは事実なので、上司としては反論しにくいという。しかも、名門大学を優秀な成績で卒業しており、将来の幹部候補として一部の役員から目をかけられているようだ。そのため、「自分は特別だから多少のことは許される」という特権意識を抱くようになったのかもしれない。

 こういうタイプは、上司からすれば扱いづらいだろう。そのせいか、直属の上司は「厳しく注意したら、パワハラで告発されたり役員に言いつけられたりするかもしれない。かといって、このままにはしておけないし、一体どう対応すればいいのか」と思い悩んで、私に相談した。・・

 

釈迦牟尼の出した答えは「気にするな」

 昨日は遊び惚けたので、今日は真面目に、でも楽しくワクワクしながら、農作業に勤しみました。(笑)

 今日の作業は、「播種」。文明の利器「種蒔きごんべい」が大活躍です。これを使ううと播種作業が「早い」「疲れない」「簡単」の三拍子です。やめられません。

 また、「フキノトウ」に続いて「タラの芽」も大きくなり出しました。明日、自宅でいただいてみて、美味しかったら出荷します。お楽しみに。

文明の利器「ごんべい」

お待ちかね「タラの芽」

 ところで、出世競争の職場にうんざりしている人たちがいます。人間は、他者との間の中で自分を確立しなければならないので、どうしても「評価」が気になるのは、自然の摂理です。

 では、どう生きていけばいいのかというのを松波龍源さんが、その著書『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)で説明しています。なるほどですので、抜粋して引用します。

・・仏教では、「私」という存在は他者があって初めて成り立つと考えます。一滴の水をイメージしてください。空気中に存在しているときは「その一滴の水」として認識されますが、海や川に流れてしまえば、その一滴を特定することができなくなります。

一滴の水が消えたわけではありませんが、周りが同じ水だと、認識されなくなってしまうのです。

これと同じで、「私」も「私ではないもの」に囲まれているがゆえに認識されます。

つまり、自分の存在を確認するには、自分以外の他者に囲まれて、他者からの認知のリフレクション(反射)として確認するしかありません。つまり、他者に承認させたいという欲求は自分を確立したい欲求とほとんどイコールで、真理に則ったことなのです。

  

・・ここで参考にしたいのが、原始経典に記された釈迦牟尼の言葉です。

何をしても、何かをしたといってある人は非難する。何もしなくても、何もしなかったといってある人が非難する。何かをしてもしなくても、非難する人は非難する。だから他者の声なんて気にせずに、自分の心と向き合いなさい。

同じような言葉を、みなさんも聞いたことがあるでしょう。私がこれに救われたのは、言葉の内容そのものよりも、これを言った人が釈迦牟尼であるという事実です。

あのお釈迦様でさえ、何かといっては文句を言われケチをつけられていたんだ。称賛しかされなかったのであれば、こんな言葉は出てきませんから。そう思えば、自分が文句を言われるのなんて当たり前のことだ、と思ったのです。

結局、釈迦牟尼の出した答えは「気にするな」でした。他者からの意見や批判は真摯に受け止めるべきですが、あなたの価値を決めるのはあなた自身なので、強く生きなさいということです。

何かをしても、しなくても、一定の確率で誰かから文句を言われるんだ、くらいに思っていればいいのです。

ただし、そのためには賢くなくてはいけません。だから仏教哲学を学ぶのですね。「俺イケてるし」と無知蒙昧むちもうまいな状態でいることとは違います。

言ってみれば、称賛も非難の裏返しです。称賛されたときは素直に喜べばいいでしょう。けれどその喜びのあまり、自己認識の軸足を自分から他者に移し替えてしまうと、自分という存在が足場から崩れ落ちてしまいかねません。褒められたりけなされたりするのは、そのときどきの状況でしかないのですから。

 

・・ここまでお話ししたように、「他者に承認させたい」という欲求が湧き上がってくるのは人間として自然なことです。それを踏まえたうえで、私たちはどう行動すればいいのでしょうか。

仏教的に考えると、その答えは「利他」です。

利他とは文字通り、他者の利益のことです。抜苦与楽ばっくよらくという言葉があるように、他者の苦しみを除き、喜びを与えるように振る舞えば、それは自分の喜びにもつながります。抜苦与楽の道は、自利と利他が一致している状態です。

なぜ、他者の喜びが自分の喜びになるのか。これまでお話ししてきたように、自分は他者の存在があってこそ成り立ちますから、「私」の利益と他者の利益は一致します。つまり、他者の利益を考えることが、自己の利益を考えることにもつながるのです。

うわべだけで相手を褒めるような一時的な幸せではなく、根源的な幸せを目指して行動すれば、社会そのものが良くなり、回りまわって自分も受益者になることができます。 

 

ただやることが面白い、楽しいからやるのである。

 桜の開花が始まりました。なので今日は、急遽「そうだ!! 花見に行こう!!」ということで、「桜がきれいで」「あまり遠くなくて」「混まないところ」という三拍子揃った、名取市の「雷神山古墳公園」に行ってきました。

 帰りに、名取市役所前広場で開催されている「市民祭り」にも顔を出し、「セリ鍋と焼き鳥と生ビール」をいただきました。最高でーす!!(笑)

雷神山古墳。東北で一番大きい「前方後円墳」だそうです。

こんな感じの古墳です。

高台から「仙台空港」が見えます。

お目当ての「桜」も綺麗でした。

名取市民祭り「セリ鍋と焼き鳥と生ビール」まいう~

 ところで、「遊び」について、藤原東演住職がその著書『禅、「あたま」の整理』(知的生きかた文庫)の中で、「遊戯三昧(ゆげざんまい)」ということを説明しています。抜粋して引用します。

「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅語は、「無門関」の第一則に出てくる。

我を忘れて、無心に遊んでみないか。

仕事も、趣味も、生活でなすことも、さらには人生の運不運もすべて遊び心で生きることがすばらしい。

仕事は成果をあげなくてはならない。

「何かのため」という意味づけが不可欠だ。

ところが、遊びは何かのためにという目的がない。

その成功とか失敗なんか関係がない。

成果など計算したら、それは遊びではない。

人の評価も気にする必要がない。

ただやることが面白い、楽しいからやるのである。