昨夜降った雨の量が思いのほか多く、今日の耕運はあきらめました。稲刈りの人たちも午前中の作業は見合わせているようです。
異常気象が当たり前になりつつある昨今ですが、季節は着実に進んでいます。更新剪定した「茄子」に花が咲き始めました。秋ナスを楽しめそうです。(笑)

ところで、不機嫌な高齢者がいます。(笑)齋藤孝さんがその著書『定年後、上機嫌を愉しむ (ポプラ新書 285)』の中で、「自分を感情に委ねていると、悲しみにとらわれるだけでなく、
・・不機嫌なシニアは間違いなく嫌われます。いつもイライラ、カリカリしており、むすっと無言。不愛想で、気難しく、陰気。薄い怒りを漂わせた仏頂面は、場の空気を淀ませ、
周りの人の大迷惑。 不機嫌の理由としては「自分の能力がないことを皆から隠したい」
「自分の衰えや老いを認識したくない」 などといった自己防衛本能があることが考えられます。不機嫌な鎧を身に着けていたら、人は近寄りがたく、 自分のネガティブな部分が見えにくい。 もう一つ、同じようなパターンで「
いつも機嫌がいいと人から馬鹿に見られはしないか、 深刻ぶったほうが賢く見えるのではないか」 という歪んだ認識からの不機嫌です。毅然とした、威厳のある、 渋い態度で沈思黙考しているのは知性がある証拠という間違った価 値観。 しかし、不機嫌な人ほど知性のパフォーマンスは低めなのです。上機嫌の見本は、式亭三馬の『浮世風呂』や十返舎一九の『
東海道中膝栗毛』などの作品に出てくる江戸の町人たちです。落語の登場人物も憎めない「上機嫌人」が多い。「宵越しの金は持たない」と明るく楽天的に啖呵を切る人で、 不機嫌な人は想像できません。 私の好きなニーチェも祝祭的に上機嫌であることを勧めています。「さあ、上機嫌でやろう。・・・このわたしのように」(「
ツァラトゥストラ』手塚富雄訳/中公文庫) では上機嫌人になるにはどうしたらいいでしょうか。機嫌とは気分のことです。ある状況や身体の状態によってもたらされる、
その時々の心持ちです。生まれ持った、変えようがない性格のことではありません。 上機嫌も不機嫌も気分のことですが、上機嫌は「意志」寄りで、
不機嫌は「感情」 寄りに属します。哲学者のアランは『幸福論』の中で「 悲観主義は気分によるものであり、楽観主義 は意志によるものである」(『幸福論』 神谷幹夫訳 岩波文庫)と述べています。そうなると、不機嫌は悲観主義(=感情的)、上機嫌は楽観主義( =意志的)という分類になります。 自分を感情に委ねていると、悲しみにとらわれるだけでなく、
怒りっぽく、不機嫌になります。一方、 意志と自己克服によって楽観的で上機嫌の状態を作っていると、 人は幸せになるのです。 上機嫌とは、意志と自己克服によって作法・
礼儀として身につけるべき「型」と「技」なのです。上機嫌は型ですから、意志的に訓練すれば誰でも習得でき、技( 習慣)として長く運用できるものになります。 また、上機嫌は礼儀でもあります。アランはお辞儀や微笑のしぐさには怒りや憂鬱を遠ざける効果があ
ると説いています。






