元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

これぞプロの添乗員さん

 放浪の旅から無事帰ってきました。楽しい2泊3日の旅でした。特に「これぞプロの添乗員さん」が担当となり、とても快適で素敵な旅となりました。

 まぁ、「団体行動が苦手な人もいるだろうなぁ~」とあらかじめ予想はして行ったのですが、想像を超える「傍若無人(傍らに人無きがごとし)」の人がいて、その人への対応が「神対応」でした。(笑)

 誰が見ても「お客様が絶対おかしい」と思うことでも、お客様に対して「上から目線でものを言わない」「他のお客様にも納得できる言い方をする」「依怙贔屓しない」「お客様の困りごとを解決するため全力で努力する」「不可能な場合は、冗談を交えて納得させる」等々感動的な対応が随所に見られました。

 例えば、事故渋滞があり、スケジュールが厳しくなっているのに、バスの中でビールを散々飲み、「トイレ」を要求してくる傍若無人には「お客様に緊急事態が発生しましたのでパーキングに臨時停止いたします」という説明でした。「トイレ休憩です」とは言いませんでした。私たちは「緊急事態ならしょうがないよなぁ。自分にもあるから・・」と納得しました。(笑)

 また、御朱印をもらう時間がないということで、私たちが昼食をとっている時間に添乗員さんは、御朱印の受付に並んで、全員の分を購入してきました。

 そして、極めつけは、「家に帰ったら、疲れたぁ~と言ってはダメですよ。留守を守っている人は、みなさんの事を心配して待っているのですから、楽しかったよ~と最初に言ってください。そうすると、じゃまた行ってきたら・・と言ってもらえますよ。」とアドバイスしてもらいました。確かにそのとおりだなと思い、そのまま実行したら、そのとおりの反応でした。(笑)さすがプロですよね。

 その他、いろいろプロの技を見せていただきましたが、一生懸命お世話をしていただけるので、本当に頭が下がりました。

 なぜこんなに一生懸命になれるのだろうかと考える時、やはりそれは私たちお客様からの「感謝の言葉」なのだろうと思います。人に喜ばれることが、添乗員という仕事の最も大きなモチベーションなのだと思います。

 それでは、道中の代表的な写真を添付します。

姫路城

瀬戸大橋

安芸の宮島

倉敷の美観地区

広島原爆ドーム

後楽園







 

明日から放浪の旅に出ます

 今日は、村民2号が助っ人に来てくれ、スナップエンドウの支柱建てを完成させました。やれやれ・・。ランチは、近くの「井戸浜や食堂」へ。私はソース焼きそばセットを頼みました。いい味出してます。まいう~。

これぞソース焼きそば

 ところで、明日から放浪の旅に出ます(笑)ので、ブログは今週末までお休みします。いい「笑い話」に出会えたらご報告させていただきます。

こんなところもいいかな

こんなところも・・

 

 

信用は、「積み重ね」。

 今日は、「絹サヤ」と「スナップエンドウ」の支柱建て作業を行いました。なかなか面倒な作業ですが、村民4号が飛んで火にいる夏の虫のごとく、たまたま来たので、手伝ってもらいました。ラッキー(笑)

村民4号作成。「しなやか支柱」

スナップエンドウ支柱。疲れたので途中でリタイヤ。

 ところで、この間「なぜ、結果につながらなかったのか?」という話題で盛り上がりました。「こんなことがあったから」、「あんな人がいたから」等様々な要因はあるのでしょうが、私は最終的には「信用」だと主張しました。

 hiro-sanがブログの中で「信用される人」にいての記事かあったので、引用します。

いつの時代も、市民は政治家を、部下は上司を、生徒は先生をよく見ている。

下の立場から見ると、手に取るように上位の人間の行動はわかる。

どんな偉そうなことを言っても、人は行動で見られる。

それも、日常の些細な行動で判断される。

「遅刻をしていないか」

「期日は守っているか」

「挨拶を先にしているか」

「ゴミは拾っているか」

「誰に対しても丁寧な言葉を使っているか」

「自分だけ得をしようとしていないか」

「人の見ていないところで手を抜いていないか」

そして、自ら言ったことを継続しているか。

長く続けているか。

それらすべてが、「誠実」「信頼」「正直」「本気」「真面目」「約束を守る」「責任感がある」「まわりの人への配慮がある」「人の話を聞ける」「感謝がある」といった徳目につながる。

それが、つまり、「信用される人」だ。

リーダーが「信用される人」なら、「令せずして行わる」。

信用は、「積み重ね」からしか生まれない。

 

人はなんのために勉強をするのか?

 今日もとんでもない「強風」が吹き荒れていました。が、午前中は「農学講座」に参加していたので、ちょうどよい塩梅でした。

 今日は、アブラナ科の野菜、特に大根やカブの葉や根を食べる「キスジノミハムシ」の対策と育苗方法について学びました。農業には、専門用語も多いので、理解が追いつきません。(笑)

 例えば、早生(わせ)・中生(なかて)・晩生(おくて)などの表記が見られます。これは同じ野菜の中で他の品種と比べたときの収穫時期までの早さを指しているのだそうです。早生が収穫時期が来るまでが一番早く、中生が続き、一番遅いのが晩生となります。

 今日学んだ「キャベツ」や「白菜」は、「葉の多さ」による区別となり、葉が少なく成長が早いのが早生。葉が多く大きくなるのが「晩生」と呼ぶのだそうです。そうだったんだぁ~。(笑)

農学講座。落ちこぼれそうです。(笑)

 ところで、立命館アジア太平洋大学学長、出口治明さんがその著書『人生の教養が身につく名言集 (単行本)』(三笠書房)の中で、「人はなんのために勉強をするのか?」について書いています。確かに、インプットとアウトプットはセットだと思います。アウトプットしないと新しいものが入ってこないし、アウトプットするためには、自分なりに理解しないと出来ないため、いつの間にか自分のものになっている気がします。

・・・「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、要するに物事を自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。たったそれだけのことです。そのために勉強するのです」(山本義隆

山本義隆さんという人がいます。 

大学というアカデミズムに属さない在野の科学史家として、『磁力と重力の発見』(みすず書房)などすばらしい本を何冊も出されています。

長いあいだ、予備校の物理学の名物講師としても活躍された人です。 

その山本さんが、とあるインタビューで「人はなんのために勉強をするのか?」という問いへの答えとして述べられたのが、「自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため」という言葉。 

 

まさにその通りだと思います。

インプットは一所懸命するのに、そこでストップしてしまう人をときどき見かけます。

考えるという作業をほとんど行なわず、アウトプットをからきししない。

「勉強する」、あるいは「学ぶ」という人間の営為は、インプットとアウトプットがセットになっているのです。 

この2つをセットでやらないと、せっかく知識をインプットしても、それはその人にとって、血肉にはなりません。

下手をすれば、時間とともに忘却の彼方にいってしまうことになるでしょう。 

 

ところで、アウトプットとは何か。 

その基本は、母語(マザータング)による「言語化」です。

しかも、インプットしたままの他人の言葉ではなくて、それを自分の頭で咀嚼して、自分の言葉に引き直して言語化する。

その作業を経ることによってはじめて、自分の頭の中の「情報のタンスの中の引き出し」(自分の辞書)を整理することができます。

整理すれば、引き出しやすくもなります。

必要なときに、さっとその知識を取り出せるわけです。

逆に、言語化の作業を経ないと、情報は頭の中の「タンス」の中でグチャグチャになったままです。

場合によっては、タンスの外にはみ出しているかもしれません。

これは別の言葉でいえば、自分の「血肉」になっていない状態。

モノになっていない。

だから、適切に取り出せないばかりかすぐに忘れてしまうのです。

こうであらねばならぬ

 今日はとんでもない強風のため、午前中で作業をあきらめ、スゴスゴと畑から退散してきました。明日も風は強そうですが、今日の遅れを取り戻さないと・・・。ん?! 気持ちがスローライフになってないじゃん。(笑)

「たんぽぽ(蒲公英)」に占領された元気村

「しいたけ」初収穫

 ところで、いつも機嫌の悪い人がいます。本人には自覚がなさそうですが、何かにつけて「怒り」の表情になります。日本アンガーマネジメント協会代表理事、安藤俊介がその著書アンガーマネジメントで読み解く なぜ日本人は怒りやすくなったのか?(秀和システム)の中で、「守るべきものが多い人が怒る」と書いていますので、抜粋して引用します。

 守るべきものとは、「こうであらねばならぬ」という価値観がいっぱいあるということですね。やはり「寛容」が必要のようです。

怒りは防衛感情です。

怒ることで体を臨戦態勢にして、大切なものを守ろうとします。 

大切なものには価値観、考え方、立場、プライド、家族、仲間といったものがあげられます。

守らなければいけないものが多い人は、必然的に怒ることが増えます。 

自己肯定感の低い人は、守らなければいけないと思っているものが多い人です。

それは、意識しているものもあれば、無意識のうちに感じているものもあります。

いろいろなものを守らないと、自分を保つことができないと思い込んでいるからです。 

たとえば、仕事でミスをした人がいます。そのミスは些細なものだったものの、気をつけてほしいものではあったので、軽く注意したところ、「自分の責任ではない、頼んだ 側の頼み方がおかしかった」と、半ば逆ギレとも言えるような返しをされたとします。 

注意したこちらとしては、相手を強く責めるつもりもなかったので、なぜそれくらいの注意で、そこまでムキになって言い返してくるのか理解ができません。 

素直に自分のミスを認められないのは、些細なミスであろうとも自分がミスを認めることで、自分が悪いことをしたと思いたくない、それを認めてしまえば自分の価値がなくなるのではないかと、無意識に思っているからです。 

また、ミスを指摘されることは大げさではなく、自分の尊厳を貶(おとし)める攻撃と捉えます。

尊厳はとても大切なものですから、それが攻撃されたと思えば、怒りをもって防衛しようと反撃に出るのです。 

 

 

寛容度・許容度を上げる

 昨日は、耕運準備作業が思ったより長くかかり、仕方ないのでサービス残業をしてしまいました。春を通り過ぎて、初夏のような気温となったので、汗まみれです。おかげさまで、晩酌のビールの美味しいこと!!(笑)

♬燃える男の~赤いトラクターぁ~

 ところで、ドラマ「不適切にもほどがある」の中で、ギスギスした世の中になったのは「不寛容」になったからだと言っていました。確かに、どうでもいいようなことに対して、「俺は正しい」とわざわさ意見表明(?)をすることで、「間違いは許さない世の中」になっているような気もします。

 小林正観さんがその著書「ありがとうの魔法」ダイヤモンド社)の中で、次のようなことを書いています。こんな受け取り方ができると、寛容な世の中になりますよね。抜粋して引用します。

 ・・・どうすれば「私」の寛容度・許容度を上げることができるか?
 どのような「修行」をすればよいのか?

 じつは私たちは、寛容度・許容度を上げるための「修行の場所」をすでに持っています。その修行の場所を「日常生活」と呼びます。24時間365日が、丸ごと「修行」の場なのです。
 修行の相手は、妻、夫、子ども、親、兄弟、上司、部下、先輩、後輩、友人、知人といった、ありとあらゆる人、もの、ことです。
 私たちは、こうした人たちを相手に、寛容度・許容度を上げるための「修行」をさせていただいているようです。
 そう考えることができたら、「私」の寛容度・許容度を上げさせてくれる相手に、思わず頭が下がり、手を合わせたくなるのではないでしょうか。

 

ここがヘンだよ日本の「転勤」

 春野菜の出荷が一段落してきました。毎日出荷できるように生産調整をしてこそ一人前の農家と呼べるのでしょうが、まだまだその域には達していません。(笑) 5月の出荷は、GWもあるので一休みになりそうです。

今は「レタス」をメインで出荷中

 ところで、サラリーマン時代に13年間の「単身赴任生活」を経験しました。13年連続ではなく、出たり入ったりしていたのですが、丁度子供たちの「手のかかかる時期」や「思春期」の時期もありましたので、当然の帰結として「家庭崩壊」していました。(笑) 単身赴任先からたまに帰っても家庭に私の「居る場所」はありませんでした。( ノД`)シクシク…

 グロービズ経営大学院の「小山はるか」さんが、『これからの転勤制度の在り方ーここがヘンだよ日本の「転勤」』について記事を書いていましたので、抜粋して引用します。

 「そのとおりだぁ~!!」と叫びたい思いです。(笑)

これからの転勤制度のあり方――ここがヘンだよ日本の「転勤」 | Books&Apps (tinect.jp)

転勤が個人と家庭に与える影響と課題

以前より、転勤制度は本人・配偶者の精神的な負担、キャリアへの影響、家族分離や子供の転校といった家庭への負担が大きいことが指摘されてきた。

・・・

ライフイベントへの影響

転勤により子供を作るタイミングを逸したケース、転勤が終わるまで子作りを先延ばしするケースがみられた。その結果、子供をまだ授かっていない、または長期に渡り不妊治療を継続しているケースもあった。これは少子化にも影響する大きな問題である。

また結婚式や住宅購入を決めたタイミングで転勤辞令を受けるケースもあり、個人のライフイベントに大きな影響を与えていた。

・・・

それでも転勤は必要なのか

前半で説明したとおり、経済状況により転勤の目的は変化する。欧米諸国においても、契約変更と本人の同意を前提とした配置転換は行われており、経営上その必要性が存在する限り一定の転勤ニーズは今後も残るだろう。

一方で現状の課題を踏まえると、企業・社員双方にとって、そのあり方には更なる変化が期待される。

例えば、近年の転勤の目的として多くの企業は「人材育成」を挙げているが、転勤経験が転勤以外の異動と比べて能力開発面でプラスになったと認識している転勤経験者は38.5%に過ぎない。

転勤経験は、通常の異動経験と比べ、賃金や昇進と関連する職業スキルに強い影響を与えるわけではないという研究結果もある。

また、企業は人材育成を第一の目的とする一方で、転勤経験者本人は自身の転勤を「人材需給調整」ととらえており、人材育成の意義が伝わっていないことも指摘されている。

企業側は配置転換が慣例的に行われていないか、転居を伴う配置転換が必要なのか、社員との事前コミュニケーションは十分かを再考することが期待される。

近年の転勤施策見直し事例

共働き世帯の増加に伴い様々なコンフリクトが生じる中で、近年、企業側も転勤施策の見直しを行っている。特に、全社的に定期的な転勤が多く行われてきた金融業界では制度変更が進みつつある。

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新型コロナ以前の2019年にいち早く動き出したAIG損害保険では、新制度導入後、新卒応募が10倍に増加したという。

就職みらい研究所の調査によれば、就職活動をする学生が「希望の勤務地に就けるかどうか」を重視する傾向は年々高まっている。

少子高齢化、長期雇用の前提が崩れつつある時代において、企業には働く人の意識や社会情勢、労働市場の変化をいち早く察知し、活用可能なテクノロジーを取り入れ、制度の見直しを図ることが期待される。

新卒一括採用や育成制度とも密接に絡む転勤施策の見直しは、決して容易ではない。
しかし、企業・社員双方の負担を減らすだけでなく、日本において企業が必要な人材を確保し存続していく上で待ったなしの状況といえるだろう。