元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

競争ではなく協力へ、対立ではなく共生へ。

 今日は、「秋インゲン」の誘引作業と「落花生」の追肥と土寄せ作業を一日がかりで行いました。腰が・・・(笑)

インゲンを誘引

落花生の追肥と土寄せ

 ところで、昨日のブログでは「競争は他者の排除と価値を無きものにすること」を掲載しましたが、競争ではなく協力。対立ではなく共生。支配ではなく、対等な人間関係を築くためにはどんな考え方が必要なのでしょうか。本物研究所の佐野浩一さんがそのブログの中で、「アドラー心理学」について説いていました。抜粋して引用します。 

・・アドラーは、オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラー(1870〜1937)が築いた心理学で、フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」の一人とされています。しかし、その知名度は長らく2人に比べて高いとは言えませんでした。
 アドラー心理学には、いくつかの大切な柱があります。
 1つ目は、「原因論ではなく目的論」です。
 私たちはつい、「過去にこんな経験をしたから、いまの自分がある」と考えがちです。しかしアドラーは、「人は過去に支配される存在ではない。未来の目的に向かって、いまの行動を選んでいる」と考えました。
 たとえば、「人前で話せない」のは、過去に失敗したからではなく、「人前で失敗して傷つきたくない」という目的があるから、その行動を選んでいるという見方です。原因ではなく、「いま何を実現しようとしているのか」を見つめるのです。
 2つ目は、「課題の分離」という考え方です。
 他人がどう評価するか、どう思うかは、その人の課題であり、自分ではコントロールできません。だからこそ、自分が果たすべき課題に集中することが大切だと説きます。
 これは、他人の評価に振り回されず、自分の信じる道を歩むという、とても力強いメッセージでもあります。
 そして3つ目が、「共同体感覚」です。
 人は競争に勝つことで幸せになるのではなく、「自分が誰かの役に立っている」「仲間とつながっている」という実感の中でこそ、本当の幸福を感じることができるという考え方です。
 競争から協力へ。
 対立から共生へ。
 支配ではなく、対等な人間関係へ。
 この思想は、これからの時代にますます重要になっていく価値観ではないでしょうか。

 

競争は他者の排除と価値を無きものにすることである。

 今日は野菜の収穫をしながら、3回目の「ネギの土寄せ」を行いました。これで土寄せは完了。あとは少し太くなったら、収穫です。草取りが出来なくて延び延びになりましたが、なんとかなりそうです。(笑)

ネギの土寄せ完了。

 ところで、昨日は「終戦記念日」でした。武田鉄矢さんが、戦争に行った父が敵兵士を殺したことを得々と話すことが嫌だったと語っていました。戦争で敵兵士を殺すことが出来る理由を心理学的側面から、精神分析家でカウンセラーの大澤秀行さんがそのブログの中で解説していました。なるほど悲しく、虚しいことですね。引用します。

『嫉妬も競争も他者と自分を比べて優越感によって他者を排除しようとする、心の暴力である。そこに理解も共にも無い。あるのは自己満足だけである』

人間の自己規定に自己愛の構造がある限り、競争と優越感から逃れることは出来ない。己がNo.1であることが、自らの存在証明と意味の形式である限り、人は競争を止めない。競争は他者の排除と価値を無きものにすることである。

存在の無化により他者をこの地上から抹殺することが出来る。存在に物質は必要ない。意味を抜き取れば事は済む。済むとは、意味を持たない物質は唯のガラクタで、ゴミでしかない。廃棄される運命の無用の長物でしかない。

価値を持つ物しかこの世には生き残れないのである。その最も象徴的なモノが、兵士である。互いに敵国の兵士は排除の対象である。故に殺しても罪意識はない。元々意識がないからである。

人間は意味の病に犯されている狂人である。だからこの地上から戦火が消えたことがない。唯一この世で叶わぬ夢は平和である。

 

「困ったらお互いさま」が当たり前になる社会。

 今日は、小玉スイカのカラス対策として、防鳥ネットを設置しました。カラスには効きますが、蜂等の自然交配が困難なため、4個の実を確認してから張りました。これで安心です。(笑)

カラス対策としてネットを張りました。

 ところで、熊本地震や千葉豪雨等災害が日常茶飯事になってきました。熊本に住んでいる坂井勇貴さんがFacebook(https://www.facebook.com/movement.en)の中で、「災害ユートピア」について説いていました。なるほどです。先の東日本対震災でも確かに「災害ユートピア」が出現しました。抜粋して引用します。

・・「災害ユートピア」という言葉がある。アメリカの作家、レベッカ・ソルニットが紹介した概念で、大災害によって 経済や社会システムが一時的に機能しなくなると、人は驚くほど自然に助け合い、そこに強い連帯感や共同体意識が生まるという現象だ。

 普段なら、サービスには対価を払い、仕事には報酬が発生する。でも災害の時だけは違う。「困っているから助ける。」ただ、それだけで人が動く。

 今回の熊本地震で、僕たちもまさに、その世界を生きている。「何か手伝えることはありますか?」その一言だけを頼りに、何時間もかけて駆けつけてくれる人がいる。

 瓦を運び、崩れた家を直し、泥だらけになりながら汗を流す。作業が終われば、みんなでご飯を食べ、夜はお酒を飲みながら笑い合う。昨日まで知らなかった人たちが、いつの間にか昔からの仲間のようになっている。

 本来なら、震災なんて起きてほしくない。失われたものも、悲しみも、決して小さくはない。それでも、その痛みの中だからこそ立ち現れ、見えてくる景色がある。 

 「困ったら浮遊街においで。」そんなことを、少し格好つけて言ってきた僕たちが、今は全国のみんなに助けられている。なんとも皮肉だけど、この復興の日々には、僕たちがずっと目指してきた共同体の姿が確かにある。

 立派な施設をつくることでもない。便利なサービスを提供することでもない。一緒に汗を流し、一緒にご飯を食べ、一緒に笑い、「また来るね」と言って帰っていく。人と人がつながるとは、本当はこういうことなのだろう。

 震災は、多くのものを壊した。でも同時に、忘れかけていた「人間らしい社会」を、僕たちに思い出させてくれた。災害ユートピアは、災害だから生まれる奇跡ではない。本当は誰の心の中にもある、助け合いたいという衝動が、平時の社会では見えなくなっているだけなのかもしれない。

 だから僕たちが浮遊街で目指しているのは、災害が起きた時だけ現れる共同体ではない。何も起きていない日常の中で、「困ったらお互いさま」が当たり前になる社会だ。

 今回の復興ボランティアで感じた温もりを、一過性の思い出で終わらせず、これからの社会のスタンダードにしていきたい。

菩提寺で「盂蘭盆会施食会供養」に参加してきました。

 今日も降ったり止んだりでした。午後からは、菩提寺で「盂蘭盆会施食会供養」があり、参加してきました。10年前と比べると参加者は約三分の一まで減っています。ここにも時代の波が・・・。

施食供養の目的

施食供養は、飢えや渇きに苦しむ霊魂に食べ物や飲み物を供え、彼らを救済することを目的としています。この儀式は、特にお盆やお彼岸の時期に行われることが多く、先祖供養とともに実施されます。施食供養を通じて、参加者は自らの功徳を積むことができるとされています www.hasegawa.jp+1

農作業もお盆休暇です。

 ところで、先祖供養について、「いっぷくからのありがとう」さんがそのブログの中で、「先祖供養の効果の現れる仕組みは、ある意味科学的でもあります。」と説いています。抜粋して引用します。

・・先祖供養は大変有効です。先祖供養の効果の現れる仕組みは、ある意味科学的でもあります。

遺伝子の世界的な権威であった故人、筑波大学名誉教授 村上和夫さんによれば、DNAは、全てがフル稼働しているわけではなく

・今現在働いている機能

・休止している機能

・ある年齢になると活性化する機能

・全く働いていない機能

など様々な状態があります。

全てがフル稼働であれば、まさにスーパマン状態です。そして、働いていない遺伝子を動かすには? 感動や喜び、感謝の気持ちが遺伝子のスイッチをオンにするとのこと。

私たちの身体は、約40兆個の細胞からできていると言われています。その一つ一つの細胞の中にDNA(遺伝子)があります。私たちの体の細胞は私たちの肉体を作っていると同時に、私たちの祖先たちと一つ一つが、それぞれの祖先の誰かと繋がっています。何処かの段階の祖先のどなたかと繋がっており、その方の

・クセや考え方

・生き方

などが、今を生きる私達に引き継がれています。先祖に影響された、その心のありようが私たちの運命を決め、病気・健康などに深く影響しています。

ですから先祖供養することで、私たちの肉体に、遺伝子レベルで繫がったご先祖に感謝することで、その細胞が喜び、ひいてはその喜びが、繋がっているご先祖に光をもたらします。その結果、不活性だった細胞の機能が、良き方向にスイッチが入り活性化し、健康になったり、幸せになったりと、繋がってきます。先祖とつながっている「DNA」が私たちに受け継がれているからです。

 

天気について感想を言わないことは、 重要なポイント。

 今日は「小雨決行」で、明日出荷する野菜の収穫と「レタス」の播種、「キャベツ」の定植を強行しました。ちょっと濡れましたが、水かけは不要なので助かりました。(笑)

枝豆、食べ頃です。

キャベツの苗を定植

 ところで、農家にとっては晴れても雨が降っても助かります。なので、大自然に「おまかせ」ですが、時には「文句」も出てきます。(笑)

 小林正観さんがその著書『特別付録DVD 人生が全部うまくいく「ありがとう」の不思議な力 (単行本)』(三笠書房)の中で、「天気について感想を言わないということは、 重要なポイントです」と説いています。抜粋して引用します。 

・・「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言ってるつもりはないんですけど」と言う人が2人いました。その人たちにまた質問をしました。「もしかして、天気の悪口を言ってませんでしたか?」

「なんで、今日こんなに暑いの?」「いや~、また今日も寒い~」

「じめじめして、もう、いやんなっちゃう」

 "天気の悪口”を、みなさん何気なく口にしています。それも不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句のひとつです。"天気の悪口"を自分の口から発しないこと。

まず、この訓練をしたほうがいいのです。そこからです。

 感想を言わない。いちいちいちいち天気の感想を言わない。いちいちいちいち天候について、天気について感想を言わないということは、 重要なポイントです。 

 たとえば、「この部屋は寒いから暖房をつけてください」というのはいいのです。これはコミュニケーションですから。自分の意思を伝えているのですから問題ありません。 

 ですが、玄関を出た瞬間に空を見上げて、「暑い、暑い、暑い」というのは、単なる愚痴なのです。神様に対して“呪い言葉”をぶつけているわけです。どんなに早口で言っても、 “のろい言葉"なんです(笑)。 

 ここはとても重要なポイントなので、「自分の口から発せられる言葉」というのをチェックしていったほうがいい。自分の口から出てくる言葉が、すべて、うれしい、楽しい、幸せ、愛してる、 大好き、ありがとうという、そういう言葉にしていくと、体自身がどんどん反応していくらしいということです。

明日にも死にそうな状態から生き返ってしまう。

 台風15号は「小難」で過ぎていきましたが、雨はしばらく続くようです。なんとか雨の合間に「キャベツ」と「春菊」の苗を定植したいと思っています。また、「レタス」や「白菜」の播種の時期も迫っています。♬明日天気になーれ!!

遮光ネットが飛ばされる「小難」で済みました。

 ところで、「茗荷」にかけていた「遮光ネット」が飛ばされました。まぁ、この程度で済んで良かったです。気になっていた「キュウリの苗」もよく耐えました。「頑張れー」と台風前に声掛けしたのが良かったのかも。(笑)

 東京大学名誉教授の矢作直樹さんがその著書『悩まない生き方: あるがままで今を生きる (知的生きかた文庫 や 40-1)』の中で『「体の声を聴く」と治ると思っていなかった患者さんが治ってしまう』と説いています。物質にも全て「意思」があると小林正観さんも説いています。抜粋して引用します。

・・時々いらっしゃるのですが、リハビリ開始当時には予測されなかった回復を見せる患者さんがいます。治ると思っていなかった患者さんが治ってしまう、というようなケースです。時には、明日にも死にそうな状態から生き返ってしまうこともあります。

 そんな患者さんに、努力したことを聞いてみると、次のように答える方が複数いることに気づきました。本人自身がやる気になり、それと同時に「体の声を聴く」ということをした、というのです。「体の声を聴く」とは、わかりやすく言い換えれば「自分の体と対話する」ということです。

 私の友人は、三十代で脊髄損傷を患って下半身麻痺となり、足が動かない状態となりました。この時、再び元気に歩けるようになるとは誰にもとても思えない状態でした。しかし、友人は見事、元通りに回復し、歩けるようになったのです。 

 その友人は私に、「自分の体に『大事にするから、一緒に頑張ってね』などといういたわりの言葉をかけて、『一緒に頑張った』と思うと治った」と教えてくれました。大切なのは、生命体としての肉体に対して気持ちを持って接する、ということなのでしょう。

 そもそも肉体は、私たちの意識(魂)を乗せてくれている乗り物です。「体さん、いつも使わせてもらってありがとう」という気持ちを持つことが大切なのでしょう。なのに、そう思っていない人が大勢いるから、病気になったりするわけです。 

 まだ科学的に証明されているわけではありませんが、私は体との対話はものすごく重要だと思っています。あなたの魂の乗り物である肉体に、いたわりの心を持っ てください。そして、必要なら体と対話してください。 

 ちなみに、先の例の私の友人も含めた「体の声を聴く」ということをした方たちですが、そうするように誰からか教わったわけではなく、自然に出てきたのだと言います。思うにそうした方々には、その魂に何らかのお役目があったのではないでしょうか。

AI時代において、人々があなたを選ぶ唯一無二の理由。

 昨日は、台風の後も雨が続くということで、夕方6時ごろまで「ちぢみ小松菜」と「青梗菜」の播種に加え、マルチ張りを全集中で行いました。なんとか終わりましたが、ビール350mlで簡単にダウン。気づけは今朝になっていました。(笑)

なんとか終わらせました。

 ところで、今朝の朝ドラの中で「ただしい」の一文字「だをの」に変えて「たのしい」にするというセリフがありました。なるほどです。「正しいより、楽しい」の方が私も好きです。

 マーケティングコンサルタントの藤村正宏さんが、そのブログの中で「あなたの考え方。あなたの感性。あなたの生き方。あなたの世界観。それがかけがえのない価値になる時代です。」と説いています。抜粋して引用します。

「仕事とプライベートは分けなさい。」ってホント?

昔は、それが正しいと言われていました。
でも、本当?

SNSが生まれ、スマホが普及し、そしてAIが登場した今。世の中は、大きく変わりました。

何度も伝えているけど、しつこいようですが、大切なことなので繰り返します。

生成AIの登場で、世界は一変した。
正しい知識、洗練された正論、効率的なやり方…。これらはすべてAIが得意な領域です。 AIが瞬時に答えを出してくれる時代に、僕たちが「知識の量」や「効率」で勝負しようとすること自体が、無理な消耗戦なのです。

では、人間にしかできないこと、AIには真似できないこととは何か?

それは、「感情」「体験」「偏愛(好き)」です。

あなたが何に心を動かし、どんな体験をし、何を愛しているのか。 その「人間臭さ」こそが、AI時代において、人々があなたを選ぶ唯一無二の理由になるのです。

AIには、「あなたの人生」は作れない。

あなたが旅先で見た景色。夢中になっている趣味。休日に読んだ一冊の本。映画を観て涙が出たこと。子どもや孫との何気ない会話。美味しかったランチ。温泉で感じた静かな時間。
そんな一見、仕事とは関係ない出来事こそが、これから一番価値を持つようになります。

なぜなら、人は商品やサービスではなく、「人」で選ぶ時代だからです。

あなたの考え方。
あなたの感性。
あなたの生き方。
あなたの世界観。

それがかけがえのない「価値」になる時代です。

僕はいつも「公私混同」を実践してきました。
旅をすること。映画を見ること。本を読むこと。演劇をすること。温泉に行くこと。

これらは一般的には「遊び」とされている。
でも、僕はこれらすべての体験を、僕という人間を形成する大切な要素とし、それをビジネスに、マーケティングに、情報発信に乗せてきたわけです。

それが普通のマーケティングコンサルタントとの違った価値になったんだと思う。
例えば、マーケティングセミナーをやる時、普通の会議室ではあまりやりたくなかった。
だから、いつもライブハウスでセミナーをやっていました。
食事や飲み物(昼間からアルコールもOK)のセミナーでした。

会場の雰囲気も、大切にしていたんです。
だって、その方が楽しい時間になるし、楽しい時間の方が、参加者さんも気づきが多くなる。
それを肌感覚でわかっていたからね。

他には、鈴鹿サーキット、銀座のショーパブ、沖縄のガールズバー、水族館、美術館、豪華客船、寄席、酒蔵、ジャズ喫茶、温泉旅館・・・

あなたが「好きなこと」で遊ぶ姿、人生を楽しむ姿こそが、SNSで価値になり、あなたのブランドになり、ファンをつくる。

「遊び」と「仕事」を分ける時代は、終わりました。これからは、あなたの「人生そのもの」が仕事になる時代です。

だから「公私混同は、素敵だ!」。