元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

退屈な生活こそが「苦痛」

 今日は朝から独楽鼠のように動いていました。あれもこれもと欲張りすぎて、結局すべて中途半端に終わった(笑)ような感じで、明日に持ち越しです。よくもまあ、次々とやることがあるものです。なんのことはない、自分が作っているのですが・・(笑)

ニンニクは風通し良い場に吊るして保存します。

 ところで、こんなに忙しくても、「楽しい」と感じているのは、「生きている実感がある」つまり、「生きている意味がある」からなんだと思います。グリーンテラスな日記さんが、「無意味な時間をどう意味付けるか」ということで、「借金」や「病気」も生きている意味になると説いています。まさかそんなですが・・・わかるような気がします。引用します。

グリーンテラスな日記 (jugem.jp)

人生の自分のテーマ(夢・目標)を

見つけられた人はいいですが

見つけられない人は

生きている意味がありません*1

 

それでも時間は等しく与えられていますから

生きているその時間をどう意味づけるか?

と考えなければなりません

 

交流分析理論に

人は退屈から生じる苦痛を逃れるために

時間を6通りの方法で構造化する

と言われています

「生きていることは暇つぶし」

とキッパリと言ったクライアントもいます

そんな生きる意味を見つけられない人がやる

もっとも手っ取り早い方法があります

それは負債を抱える、借金を作る(家のローンなども)ことです

返さなければならないという意味で

一生生きていけます

返済することが生きる原動力になります

大病を患う(持病なども)、大けがをする

というのもあります

なんとしても生きるんだ!!という

生きる意味が発生します

 

そこまでするの?と思うのですが

するのです( ゚Д゚)

毎日毎日

ただただ仕事に行って帰って来て寝る

その繰り返し

やりたいこともない

夢もない、目標もない

別に不幸ではないけど

生きている張り合いがない

つまらない

こんな毎日があと何十年続くんだろう・・・と

 

人はよく言います

「退屈で死にそう~」ってね(;^ω^)

そうなんです

退屈な生活こそが「苦痛」なのです

だからそれが

たとえ傍からみたら辛いことでも

大変なことでも関係ないのです

人間は生きる意味がないと

つまり無意味では

生きてはいけないということです

 

 

*1:+_+