元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

「べき」は人によって違う

 今日は「そうだ!!6月30日は、「夏越の祓」(なごしのはらえ)だ。茅の輪(ちのわ)くぐりに行こう!!」ということで、成田山仙台分院に足を運びました。

 「夏越の祓」は、夏越の大祓(おおはらい)とも言い、自身の罪や穢(けが)れを除き去るための神道の重要な除災の行事だそうです。茅の輪くぐりの祓いは、6月25日前後に神社の境内や鳥居の下などに設置される茅(ちがや)で作られた輪をくぐります。茅の輪をくぐることで厄が落ち、身が清められると言われています。

 ところが、成田山仙台分院には「茅の輪」がありませんでした。なぜなら神社じゃないから・・・しまった!!(笑) まぁ、いいかということで、お参りしてきました。(;^_^A

成田山仙台分院 茅の輪くぐりはありませんでした(笑)

 ところで、いくら罪や穢(けが)れが浄まるからと言って、妻に「茅の輪くぐりをすべき」と主張すると、「勝手にやれば」と妻が怒ります。(笑)   

 この「べき」という言葉について、日本アンガーマネジメント協会理事戸田久実さんが、注意して使うことを提唱していますので、抜粋して引用します。なるほどです。

・・「べき」とは、自分の理想や願望、期待、譲れない価値観などを象徴する言葉です。「約束の期限は守るべき」「トラブルがあったら報告をするべき」など、さまざまな「べき」があります。そういった「べき」が破られると、怒りが生まれるのです。

 注意が必要なのは、「べき」は人によって違うということです。これだけ価値観が多様化しているなかで、「わたしの『べき』があたりまえだ」「これが常識でありふつうだ」と思い込むと、相手にその価値観を押しつけることになります。そうなると、周囲の価値観と衝突して怒りが生まれやすくなって当然です。

 

 このことについては、特に世代間の違いに注意が必要だと思います。ハラスメントの多くは、「自分たちの世代ではこうだった」「こうあるべきだった」という意識から生まれます。でも、世代が違えばいまに至るまでに育ってきた環境も違いますから、それぞれの「べき」も異なります。

 

 「わたしはこう思う」「わたしはこうしてほしい」ということであれば、あくまでも自分の考えを述べているだけですから、押しつけにはならないでしょう。でも、「ふつうはさ」というように、自分の考えがあたかも常識であるように伝えはじめた途端に相手の反感を買ってしまう可能性があります。