今日は午後から、名取市にある「宮城県農業園芸研究所」の圃場見学に行ってきました。いかにして収穫量をアップさせられるか等様々な調査研究を行っているところです。ここでの研究結果が農家へ有効な情報として提供されることになります。ありがたや、ありがたや。
ところで、立命館アジア太平洋大学学長、出口治明さんがその著書『人生の教養が身につく名言集 (単行本)』(三笠書房)の中で、「人はなんのために勉強をするのか?」について、「アウトプットが大切」と説いています。確かに今日学んだことも、実際に農作業に活かさないとすぐ忘れてしまいます。学んだ意味がありませんよね。(笑)
・・山本義隆さんという人がいます。
大学というアカデミズムに属さない在野の科学史家として、『磁力と重力の発見』(みすず書房)などすばらしい本を何冊も出されています。
長いあいだ、予備校の物理学の名物講師としても活躍された人です。
その山本さんが、とあるインタビューで「人はなんのために勉強をするのか?」という問いへの答えとして述べられたのが、「自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため」という言葉。
まさにその通りだと思います。
インプットは一所懸命するのに、そこでストップしてしまう人をときどき見かけます。
考えるという作業をほとんど行なわず、アウトプットをからきししない。
「勉強する」、あるいは「学ぶ」という人間の営為は、インプットとアウトプットがセットになっているのです。
この2つをセットでやらないと、せっかく知識をインプットしても、それはその人にとって、血肉にはなりません。
下手をすれば、時間とともに忘却の彼方にいってしまうことになるでしょう。
ところで、アウトプットとは何か。
しかも、インプットしたままの他人の言葉ではなくて、それを自分の頭で咀嚼して、自分の言葉に引き直して言語化する。
その作業を経ることによってはじめて、自分の頭の中の「情報のタンスの中の引き出し」(自分の辞書)を整理することができます。
整理すれば、引き出しやすくもなります。
必要なときに、さっとその知識を取り出せるわけです。
逆に、言語化の作業を経ないと、情報は頭の中の「タンス」の中でグチャグチャになったままです。
場合によっては、タンスの外にはみ出しているかもしれません。
これは別の言葉でいえば、自分の「血肉」になっていない状態。
モノになっていない。
だから、適切に取り出せないばかりかすぐに忘れてしまうのです。