元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

自ら滅ぶようなことをしている

 今日は早朝6時頃から雨が降るということで、5時から作業開始。早生種の枝豆「湯上り娘」を初収穫しました。まいう~(笑)

 その後、現役村民と一緒に事務所の「網戸の張り直し作業」を行い、これから来るであろう「猛暑」に備えました。お世話様でした。(謝)

 午後からは、現役村民の「コーヒー豆の焙煎作業」につきあいながら、ビートルズを聞き、晴耕雨読状態でした。

枝豆初収穫

 ところで、今日の雨のおかげさまで、やっと今村翔吾さんの「じんかん」を読み終わりました。面白かった~。皆さんにお薦めです。ぜひ読んでください。P424にこれまた「なるほどー」と頷く一節があったので、抜粋して引用します。

・・救われたい、富を得たいと願うくせに、自らが責を負うことを嫌う。そのようなものが世の大半を占める。そこに武士や民の境などなかったのだ。今の三好家を見ていればそれがよく解る。敢えてそれに境を設けるならば、欲に忠実なる者が武士で、心に押し秘めているのが民といった程度のものである。

「本当のところ、理想を追い求めようとする者など、この人間(じんかん)には一厘しかおらぬ。残りの九割九分九厘は、ただ変革を恐れて大きな流れに身をゆだねるだけではないか」

・・・・

 昔ならば己は一厘でありたいと断言しただろう。だが今はそれが何になるのだという思いが胸に溢れている。人は太古より争いを繰り返している。たとえそれで人が天地から消え去ることになろうとも、それが己の時代に起こらぬ限りは止めようとしない。赤子から老人まで人世の大勢はいつも、 ー 己の代には関わりない。という無責任な考えで動く。このような愚かな生き物が止まるはずがないではないか。

・・・・

「滅びたければ、勝手に滅べってな」

「なかなか手厳しいな」

「だってそうだろう。どう贔屓目に見ても、自ら滅ぶようなことをしている。富を独占しようとする者が現れ、戦を繰り返して奪い合う。それは現世だけでなく、百年先を生きる者からも奪おうとしている。籾を蒔けば百倍からの米が得られるのに、今食ってしまおうという連中ばかり。これで自滅しないほうがおかしい」