元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

幸せな人生の終末

 今日は、野菜の出荷の準備をしながら、トウモロコシの定植も行いました。農作業は疲労困憊までには至りませんが、適度な負荷が身体にかかるので、晩酌の後は、いつもぐっすりです。ありがたや、ありがたや。

トウモコシ定植。明朝雨が降るのでタイミング的にはバッチリです。

 ところで、今のところ心身ともに健康で、身体に適度な負荷もかけているので、予定どおり「ピンピンコロリ」かなと思っていますが、昨日の記事でも取り上げましたが、看護師の木村まりさんが、その著書『幸せに人生を終えた人から学んだこと』(自由国民社)の中で、多くの人は『ピンピンコロリ』で死にたいと願っても健康寿命から平均寿命までは約10年くらいの差があり、その間に私たちは何らかの病気や障がいを負って、寝たきりや認知症で介護が必要な状態になっている。だから、いざというときのために準備は必要ですよ」と提唱しています。確かに、そうだと思いますし、娘たちには「延命措置は必要ない」と伝えています。(笑)

・・人生の最後の10年は、多くの方が健康に生きられない可能性が高いとわかりました。しかし、だからといってその10年で誰もが必ず病気になるわけではありません。人によってはもっと早く、もしくは、もっとずっと遅いかもしれません。

まさかのときが、いつ自分の身に降りかかるのかは誰にもわからないですよね。

でも、ピンピンコロリが理想だからと、まさかのときを想像せず何の準備もしてこなければ、いざというときに困ってしまうのは誰でもなく自分自身なのです。

「どうして私がこんなことに」「まさか、こんなことになるなんて」。そんなふうに、いざそのときがきたら、現実を受けとめられない人は多いです。

病気や死は誰にでも訪れるものだとわかっているのに、そうなったときにどうしたいのかを考えてこなければ、混乱してしまうのは仕方のないことです。

ですが、動揺し現実から逃げてしまうと、最期をどう過ごしたいのかを考える余裕がなくなってしまい、あれよあれよと残された日々は消えていき、その人らしい最期を迎えることができなくなってしまいます。

病気になったとき、寝たきりになったとき、余命わずかになったとき。

自分がいつまで治療を続けたいのか。最期は好きなように過ごしたいのか。余生を過ごす場所はどこにしたいのか。まさかのときに備えて、考えておきましょう。

「最期の過ごし方」を周囲に伝えておくことが大切

・・あなたはどんな準備をするでしょうか。

きっと、「90歳くらいまで長生きしたら、倒れても何もせずにそのまま死なせてほしい」「たとえ、餅を詰まらせて死んでも悔いはない。心臓マッサージも人工呼吸器もつけないでほしい。そのまま自然の流れに任せていいから」と、自分の最期の在り方についての希望を家族に伝えるでしょう。

家族は、あなたの言葉に「何言ってるの」とあきれたような顔をするかもしれませんが、「90歳くらいまで生きられたら自然に死にたいと思っているんだな」というあなたのビジョンを知ることができるのです。

まさかのときはいつ起こるかわかりません。ですから、自分がそのときはどうしてほしいかを、あらかじめ周囲に伝えておくことが大切です。

あなたの希望がわかっていれば、残される人たちも、本人の希望を叶えようとしてくれるでしょうし、一緒に最期の過ごし方を考えることだってできます。

終活で葬式やお墓の準備、片づけや不要品を処分して身辺整理をすることも大切なことです。ですが自分がこの世を去った後の準備だけではなく、この世を去るまでの最後の10年間をどう生きたいのかを、ぜひ愛され高齢者の方々のように想像する力を発揮して考えてみてください。

幸せな人生の終末を迎えられるかどうかは、自分がどれだけ準備をしているかで決まります。「いい人生だった」と思いながら最期のときを迎えられるように、今のうちから考えておきましょう。