元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

当たり前にできることが、いかに幸せなのか

 本日は「3.11」。絶好の農作業日和でしたが、作業は断念せざるを得ませんでした。

 実は、昨日の夕食の後、食器の洗い物をしているときに、瀬戸物の食器が突然割れて手の甲を切ってしまいました。大量出血に驚き、大慌てで救急病院に行きましたが、5cm程度の裂傷で5針縫うことになりました。全治10日間だそうです。

 まぁ、嘆くことなく「この程度の傷で良かった」「妻や娘でなくて良かった」「娘が家にいたのですぐ車を出したもらえて良かった」等々良かった事を数えて、心を落ち着かせました。(笑)

 加えて、病院のお医者さんや看護師さんに「いつも洗い物をしている」ことをほめられました。嬉しくなりました。(笑)

 一方で、利き手が使えないということは大変です。(笑) 顔を洗うのも、髭を剃るのも、歯を磨くの至難の業です。もちろん、農作業もできません。当たり前にできることが、いかに幸せなのかを、改めて感じます。

農作業のできない農作業日和

 

実際の写真はおぞましいので見せられません。(笑)

 ところで、医師の矢作直樹さんが、「朝、目が覚めることも、じつは奇跡的なこと」と書いていますので、引用します。

替えの利かない「あなたとわたし」サンマーク出版

息ができるだけで奇跡なのと同じように、朝、目が覚めることも、じつは奇跡的なことです。 

事故や体調が急変して救急車で運ばれてくる人のなかには、意識が戻らずに亡くなる人がいます。 

自宅で脳卒中や心臓麻痺を起こして、朝目覚めないまま死んでいく場合もあります。 

わたしたちは、つねに死と隣り合わせで過ごしている。

それが生きているということなのです。 

 

体は今も、わたしの命を保つために、誰に命令されるでもなく二四時間働いてくれています。 

そんな自分の体にやさしい目を向けて、感謝してみませんか。 

声に出して「ありがとう」と言ってもいいし、体をやさしくさすりながら、心のなかでつぶやいてもいいでしょう。 

わたしは朝、目が覚めたら、息ができていることにまず感謝します。 

そして、 手足が動 くことがわかると、「ああ、今日もありがとう、一日よろしくおつき合いくださいね」と体に挨拶をします。 

コップを持って水が飲めること、トイレに行けること、朝食を摂れること、身支度ができること...、体が動くことすべてに感謝して一日をはじめます。 

そして夜は「今日も一日ありがとうございます」と、自分のために働いてくれた体に感謝して布団に入ります。 

ありがたいとは、文字通り「有り難い」わけですから、「当たり前ではない」ということ。

朝、目覚められるのも、息ができるのも、じつは当たり前ではないのです。