元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

思いがけないときに恵まれる

 今日は、5月3日の「元気村恒例サツマイモ苗植えイベント」開催のため、事務所の大掃除をしていました。こんなこともないと掃除をしないのか・・・そのとおりです。(笑)

 昨年の様子は、エンジョイ!!  BBQ!! - 元気村「村長通信」 (hatenablog.com)にアップされています。

 なるほど、美味しい料理がいっぱい出ていました。今年はどんな料理がてでくるのか楽しみです。新玉ねぎ、小松菜、油菜、チンゲン菜は食べ放題です。タラの芽もかな。

 秋の収穫祭とあわせて、元気村の高齢(恒例)行事として定着しました。高齢者だけではなく、子供たちも喜んでくれるので、これからも続けていきたいと思います。

初収穫。新玉ねぎ。

 ところで、坂東眞理子さんがその著書『与える人 「小さな利他」で幸福の種をまく』(三笠書房)の中で、仏教の「三尺三寸(約1m)の箸」のたとえを解説しています。私も経験的に「思いがけないときに恵まれる」ことがあるので納得します。(笑)

・・・仏教の説話では、地獄の餓鬼たちは三尺三寸の箸があっても、自分だけが美味しい食べ物を食べようと悪戦苦闘し、ほかの人がうまくいくのを妨げるので、みな飢えに苦しんでしまいます。

 極楽では反対に、お互いに相手に食べさせてよろこんでいるので、みんなが美味しいものを食べられて幸せだ、という説話です。

 とはいえ、自分が食べさせても、「相手がお返ししてくれるかどうかわからない」「相手だけ食べて、お返しもせず食い逃げされるかもしれない」「食べ物が十分ないなかで、相手にあげたら自分の分が残らず、返ってこなくてよいのか」など、いろいろな意見があるでしょう。

そんな“お人よし”では、厳しい生存競争社会では生き抜けない……そう考える人のほうが多いかもしれません。

 たしかに他人は、自分の期待したとおりには行動してくれません。だから、相手が自分の期待したとおりの「お返し」の行動をしてくれるはずだと思うのは間違いです。

 それでも「他人にいい思いをさせてなるものか」「自分が少しでも損になることはしない」と思って自分の利益だけを考えて行動していると、他人がうまくいっているのが腹立たしくなります。悔しくて邪魔したくなります。

 しかし、自分の利益を守ろうと必死になっていると、地獄の餓鬼のように、じつは自分が一番悔しい思いをすることになるのです。

対照的に、極楽の住人のように「ほかの人をよろこばそう」「ほかの人がよろこぶとうれしい」と思って行動していると、お互いによろこびが増してきます。

 相手によかれと思って行動していると、すぐには効果が見えなくても、思いがけないときに恵まれることがあります。他人によかれと思い、他人のことを考えて行動することが、結果的に自分の幸せを増やしてくれるのです。