元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

まだ動けることを喜んだ方が、幸齢者になれます。

 連日の暖かさで、カブと紫水菜がぐんぐん成長しています。でも、昨日のビニールハウスの中の温度は、35℃。あわてて両脇を上げて涼しくしました。夏のようです。(笑)

こかぶ

紫水菜

 ところで、今日はある集まりがありましたが、敬老会のようになっていました。(笑) 話題は、「最近動けなくなった」「3つ出来ていたものが2つしかで出来なくなった」「動くたびに膝が痛い」等々・・(笑)

 動けなくなったことを嘆くより、まだ動けることを喜んだ方が、幸齢者になれます。(笑) 小林正観さんの本の中で、「正岡子規の生き方」というのがありましたので、引用します。

私たちは日常生活の中で、問題や暗さを認識した上でどうするか、を考えます。

しかし、それでは永遠に問題や暗さは依然として存在し続けるでしょう。 

そういうことを「気にしない」、さらには「認識すらしない」。

そういう素敵な「ボーッとした人」になって、自分が表現することはいつも温かく、優しいまなざしが感じられるものにするという生き方もあります。

「世の中にはこんなひどいことがある」「こんなつらいことがあるじゃないか」と、暗いところを指摘して、評価論評している人より、「そんなこともあるよね」と言って笑顔で淡々と光を投げかける人のほうが、周りを明るくします。 

「今日も暑くていやになっちゃう」「雨ばかりで気が滅入るよね」と言うよりも、子規のような明るさで。「晴れたら洗濯物がよく乾く」「雨の日は紫外線を気にしなくてすむ」と 言っている人は、魅力的ではありませんか。