元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

不寛容な世界

 昨日は、某高級マンションの一室で元気村別班「現役組」の新年会を開催しました。飲み過ぎて、夜中トイレに何回も通いました。(笑)

15階から見える景色

夜景も最高

 ところで、ネットを見ていると「お前が間違い」「俺が正しい」と不寛容な世界が広がっています。なんだかなー・・です。一方で、こんな考え方もあります。「おまかせ」で生きた方が幸せかも・・(笑)

小林正観著『運命好転十二条: 「天運」を味方にする方法 (知的生きかた文庫 こ 32-3)

「思い」を持たなければ、どこにも悩み苦しみなど生じないのです。 

それを私は「おまかせ」と名付けました。 

たとえば、病気をしても、「この病気を治すぞ。絶対に克服してみせるぞ」というような強い思いをもたなければ、悩み・苦しみにはなりません。 

すべてを受け入れて、すべてをゆだね、ただベッドの上でのんびりしている。 

体中の力を抜いて「おまかせ」をしていると、体に力が入っているよりは治りが早いようです。 

 

この話をすると反論する方がいます。 

「そうやって、まかせておくだけでいいのか。人間には夢や希望が必要なのでは ないか。『思い』をたくさん持って、その『思い』を実現することが人間として 立派なことではないのか」と。 

これは「西洋文明」の考え方でもありますが、私たちは、「思いを持つこと」や、「足りないものをリストアップしてそれを手に入れること」が幸せであると教えられてきました。 

「成績を上げるために、もっと勉強しなければならない」「今以上の成果を出すために、もっと働かなければならない」といった「思い」をたくさん持って、その「思い」を実現させようと努力したい人はすればいいのです。 

頑張りたい人は頑張ればいいと思います。 

 

私は努力や頑張りをしてはいけないと言っているのではありません。 

夢や希望といった「思い」をたくさん持ち、その結果として思いどおりにならないことがたくさん生じて、それによって苦しんでいる。

それが好きなのであれば、そのような生き方をすればよいと思います。 

私が言っているのは、悩み苦しみをゼロにする方法が東洋的にはあるのだ、という話です。 

「思い」を持たなければ「思いどおりにならないこと」というのは生じない。

故に「思い」を持たなければラクな生き方ができる。 

楽しく幸せな生き方ができるのではないでしょうかということです。 

 

「思い」を持たない人生というものを想定することは難しいと思います。

私たちは、「夢や希望をたくさん持ち、それを実現させることは立派なこと。素晴らしい人生なのだ」と教え込まれてきました。 

ですが、私たちの人生はもう決まっているようなのです。 

「こういうことをやるためにこの世に生まれてきた」ということが、自らのシナリオによって決められているようです。 

その流れなり、シナリオなりが、読み取れる人もいますが、読み取れない人もいます。

「読み取れない人」には共通項があります。 

それは、「好きなことはやりますが、嫌いなことはやりません」 「夢や希望のためには努力を惜しみませんが、それ以外はしません」という意味で「自我」がものすごく強い人です。 

反対に、「流れが読み取れる人」というのは、そうした「自我」がほとんどない人です。 

「いつでもやるはめになったことはやります。

自分がやらなくてはいけないような状況になったら笑顔でやります」と、「おまかせ」ができる人です。 

「おまかせ」をしていない人はほとんど流れが見えてこず、「おまかせ」をしている人は流れがよく見えてくるのです。