元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

「和」を乱す元凶

 12月20日の記事に「病名が病気を作っていた」と載せましたが、あの後本当の病気(風邪)になってしまいした。(笑) と、いうことで3日ぐらい臥せっていたのですが、「転んでもただでは起きないぞ」ということで、鼻を啜りながら、何気なく本を読んでいたら、世紀の大発見(笑)をしました。

 昭和のおじさんの記憶では、中学校の日本史の時間に、聖徳太子の十七条憲法というのを習ったはずですが、第1条に「和を以て貴しとなし」というのがありました。そしてその意味は、人と仲良くしなさい、心を相手に合わせていくと平和な世界になるんだよ・・・と教えられました。

 それ以来「なるほどなー、確かに我を張るとぶつかるから、相手に合わせていくことが大切なんだ」と思って生きてきました。

 一方で、世の中には「和」なんかないよな。だから聖徳太子は、最初に「和」を持って来たんだろうな。相手に合わせていくのは難しいよな・・とも思ってきました。

 ところが、私の解釈が間違っていたのです。当時の先生が間違って教えたのかも?(笑) だから、難しいと思っていたのです。「和」の本当の意味を「ひすいこたろう」さんが、解説していましたので引用します。

 日本料理の「和える」を平和の「和」と書くのも、まさに日本的な感性が表れています。「和える」は料理で使う言葉ですが、似た意味の言葉に「混ぜる」があります。料理研究家土井善晴先生は「和食に混ぜるはなく、和えるしかない」と言っていました。西洋では粉と卵を混ぜ合わせてパンを作るように「混ぜる」ことで、まったく違うものを作り出そうとします。英語にするなら「ミックス」。

 一方、日本の「和える」は、それぞれの違い(魅力)を活かしながら、お互いの個性、存在を尊重し、おいしい料理を作る。英語にするなら「ハーモニー」となります。

 一人ひとりが自分の本当の心を大切にしながら、無理にひとつにしない。個性がバラバラなままでハーモニーを生み出す。それが「和える」であり、聖徳太子の「和をもって貴しとなす」ってやつです。

 ・・・どうでしょうか。私は65歳の今日の今日まで、目上に合わせなきゃならない、親に合わせなきゃならない、上司に合わせなきゃならない、それが「和」であり「和やかな環境を作り出す」という嘘を信じて生きてきました。残念(笑)

 一人ひとりが自分の本当の心を大切にしながら、無理にひとつにしない。個性がバラバラなままでハーモニーを生み出す。それが「和」だったのです。これなら納得です。中学時代に教えられた「自分を相手に合わせる和」こそ、「和」を乱す元凶だったのです。あーすっとした。(笑)