元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

踏まれたら立ち上がらない。

 今日は出勤日でした。なんか「人生を楽しむ人」と「苦しみの人生を送る人」と両極端になってきたなぁーと感じる今日この頃です。「疑心暗鬼の職場こそが、きちっと管理された優れたマネジメント」と称されるのってどうなんですかねぇ・・(笑)

 まぁ、大阪弁でいえば「知らんけど」ですが。(笑)

 ところで、辛い職場でも「雑草のように、何度踏まれても立ち上がることが大切」とされてきたが、「それは嘘だ」という記事を見つけたので、抜粋して引用します。なるほどです。(笑)

稲垣栄洋著:『雑草学研究室の踏まれたら立ち上がらない面々』(小学館

話を聞けば、鳥海さん(学校に来ない時期があった学生)はとても頑張り屋だ。十分に頑張っているのに、「もっと頑張らなきゃいけないのに……」と思っている。そして、思うように頑張れない自分が嫌いになってしまうのだ。

私は言った。

「雑草ってさぁ、頑張っているように見えるよね」
「はい」
「でも本当は、頑張ってなんかいないよ」
「えっ?」

鳥海さんが驚いた顔で私を見た。

「雑草は踏まれても踏まれても立ち上がるって、言うでしょ」
「はい」
「でも、見てごらん、踏まれている雑草は立ち上がっていないでしょ」

私は畑の道に生えている雑草を指さした。

「踏まれている雑草は踏まれても大丈夫なように、立ち上がらずに寝そべっている。別に立ち上がらなくたっていいんだよ」
「雑草魂って言うわりには、何だか情けないですね」

鳥海さんが笑っている。

「雑草にとって大切なことは何だと思う」
「タネを残すことですか?」
「そうだよね。そうだとしたら、踏まれても踏まれても立ち上がるって、ムダなエネルギーを使っていると思わない」
「確かにそうですね」
「だから雑草は踏まれたら立ち上がらない。そして、踏まれながらタネを残す方にエネルギーを使うんだ」

「そう考えると立ち上がらないってすごいですね」
「大切なことを見失わない、それが本当の雑草魂なんだ」
「……」

鳥海さんは黙っている。

「授業でやったよね。雑草のタネは環境が合わなければ芽を出さないって。無理して頑張らないのが雑草の生き方なんだよ」
「私、『置かれた場所で咲きなさい』という言葉が好きだったんです。与えられたところで頑張ることが大事だと思っていたんです。でもその言葉がずっと重荷だったんです。本当は、置かれた場所で芽を出さなくてもいいんですね」

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」は、私も大好きな言葉だ。しかし、受け手の心の状態によっては、この言葉に苦しむ人もいるのだ。言葉というのは、本当に難しい。

それにしても鳥海さんの「置かれた場所で芽を出さない」もすてきな言葉だ。

「そうだね、水辺の雑草が水のないところで頑張っても意味がないからね。水が溜まるのを待つのが正解だよね」