元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

精神年齢は上げなければいけない?

 昨日は陽の高いうちからの「飲み会」でした。お昼の飲み会は、その後何もできなくなるので、朝一番で飲み会の場所にほど近い映画館に行きました。

 見たのは「翔んで埼玉(埼玉と滋賀のハイブリットだ!)」です。ネタバレするので書きませんが、とにかくちょ~くだらない。笑いが止まりませんでした。あまり大きな声で笑えないので、涙を流し、腹を押さえながら見ました。(笑) 心が落ち込んでいる方にはお薦めです。絶対笑えます。

 ところで、精神科医和田秀樹さんが、趣味というのは好きなことをやるべきだし、あまり肩書にこだわらない方がいいとも言ってますので、引用します。

和田秀樹60代からの見た目の壁』(エクスナレッジ

 教授や社長になると老け込むのは、精神年齢が一気に上がって、肩書きにともなうくだらない風格を早々と身につけてしまうからではないかと私は思っています。

 日本では精神年齢が高いほうが大人だと考える文化があるのか、年齢が上がるとともに、精神年齢も上げたいと思っている人が多いのではないでしょうか。

 でも「精神年齢は上げなければいけない」という強迫観念はよくないことだと私は思っています。

 よくリタイアしてからの趣味は、俳句だとか詩吟だとか、本を読むなら哲学書とか言う人がいますが、興味もないのにそんな趣味を押しつけられても、やる気にはならないでしょう。

 趣味というのは、好きなことをやるべきですし、それで精神年齢が若いと言われても、気にする必要はありません。

 私の東大医学部時代の恩師であり、今も尊敬する養老孟司さんは、子どもの頃から昆虫観察が趣味で、80代半ばになる今も山や野を駆け巡って昆虫採集をしています。

 高齢者だからといって、興味もないのに俳句を趣味にするより、養老さんの生き方のほうがよっぽどステキだと思いませんか。

 あるいは、23年度前期のNHK朝ドラ(連続テレビ小説)『らんまん』の主人公のモデルになった植物学者の牧野富太郎も、子どもの頃からの植物好きを一生続けて「日本の植物学の父」と呼ばれるようになった人物です。

 何歳になっても無邪気に子どものような好奇心を持つのは、見た目の若さという点でもとても重要だと思います。それがなかったら、人は30代でも40代でも老成していくのではないでしょうか。

 年をとっても好奇心を失わない人のことを「少年の心を持った大人」などと言いますが、これは「子どもっぽい大人」とはまったく違います。

 後者のような人のことを「精神年齢が低い」と言う人もいますが、これは私の言うところの精神の若さとはまったく関係ありません。

 例えば、ちょっとムカついただけで、カッとなって怒鳴り散らすのは、単に子どもっぽい大人にすぎません。

 成長とともに身につけなければならない倫理観や道徳観が欠如しているだけで、確かに定義上は精神年齢が低いことになりますが、精神の若さとは無関係です。

 ただ、年をとって脳の前頭葉の老化が進むと、もともとあった性格が尖鋭化されてくるという特徴があります。

 コンビニの店員に難クセをつけて怒鳴り散らしている老人をよく見かけますが、あれも一種の性格の尖鋭化です。この老人はたぶん、自分流の倫理観が厳しかったのか、老化とともに過度になっていったのでしょう。

 

 よく「昔、俺は部長だった」などと、かつての地位を自慢する人がいますが、今現在は何者でもないことを宣言しているようなものです。

 でも、そんなことを言う人には、昔の地位を尊重して対応しないと、キレて怒り出すこともあるようです。

 お年寄りにもいますね。タメ口で話しかけたりすると、「今の若いやつらは口のきき方がなってない」などと怒り出す老人が。

 でもこれも性格の尖鋭化の一種で、もともと怒りっぽい性格の人が、怒りをコントロールできなくなっただけのことだと思います。

 こういうマンガに描かれるような老人は、目立ちはしますが、実際はそんなに多くはいないと思います。

 たくさんの高齢者と接してきた経験から言えるのですが、老人は人が考えているよりあきらめがよいものです。

 例えば、会社の部長だった人が、リタイアして駐車場の管理人になるといったことが現実にはあるわけです。

 ではその管理人は昔のプライドがあるから偉そうにしているかというと、そうではなくて、ちゃんと腰の低い管理人になっているのです。逆に言うと、この国の人たちは肩書きに従順な人が多いとも言えます。実際、「俺は元部長だ」と叫んでいるようなタイプの管理人というのは見たことがありません。

 確かに、「威張らないと損」みたいな考え方をしている人が世の中には存在します。でも、威張りたくても威張れない人がいるのも事実。「俺は定年して、ただの老人になった」と思っている人のほうが意外に多いのです。

 過去の肩書きにしがみつく人より、そのほうが人間的にはよいと思いますが、そのままだと見た目に関しては老けていく可能性があります。ですから、意欲だけは失わないようにしなければなりません。