元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

ただ通り過ぎるだけ

 昨日は、七ヶ浜町にある国際村で行われた「スイングキッズコンサート」に行ってきました。スイス在住の子供たちのジャズバンドでしたが、七ヶ浜は5回目だそうです。年齢は、10歳~16歳。はっきり言って「天才です。」(笑)

 演奏終了後、廊下で見送ってもらいましたが、本当に子どもでした。(笑)すごいですよね。楽器の演奏も歌も聞きごたえ満点でした。幸せな時間を過ごしました。

 そういえば、ランチも花渕浜にある「花瑠璃の風」で、ラーメンを食べましたが、これまたうまい!! 幸せが次から次に降ってくるような日でした。(笑)

おしゃれな感じで、ラーメン店には見えません。

七ヶ浜で採れたワカメ入り まいうー

七ヶ浜国際村

遥々スイスから来ています。

感動の天才キッズたち。

 ところで、「幸せ」について、小林正観さんが説明しているので、引用します。

小林正観著:「100%幸せな1%の人々」(中経出版)

・・「幸せ」を感じようと思えば、100や200の幸せが身のまわりにあることに気がつきます。1時間に1個の幸せを感じようと思えば、1日24個の幸せを感じることができますし、1分間に1個なら、1日に1440個の幸せを味わうことができるのです。


 それどころか、目が見える。耳が聞こえる。呼吸ができる。言葉が発せられる。手でものを持つことができる。自分の足で歩ける。携帯で会話ができる。家族がいる・・・と、いろいろなものに幸せを感じようと思えば、1秒に数十個の幸せを感じることさえできるでしょう。

 妻がいる幸せ。独身でいる幸せ。子どもがいてくれる幸せ。子どもがいなければ、夫婦で24時間笑顔を父換できる幸せ。無人島にいたって、自由な一人暮らしができる幸せを感じてもいいのです。毎秒毎秒毎秒毎秒、「私」が幸せだと思うすべてのことが、「私」にとっての幸せになります。

 幸せは、その人にのみ帰属するものであり、幸せが見つからないと言っている人は、幸せを感じる心を動かしていないだけかもしれません。

 目の前の現象について私が何も感じなかったら、ただ通り過ぎるだけの現象にすぎない。ところが、「私」がその現象を幸せだと思ったら、その瞬間に幸せなことになり、一方でその現象について不幸だと思ったら、思った瞬間に不幸なことになるわけです。