元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

自分で親を選んで生まれてきた

 今日は朝から雨だったので、整骨院に行って農作業疲れを癒してきました。鍬の使い過ぎで右肩、右腰が曲がってました。(笑) 

 午後は身体が元に戻ったので、明日の無人販売用の野菜(キャベツ、白菜、チンゲン菜、葉大根、ミニ大根等)を収穫してきました。雨は上がり、太陽が出て夕日がきれいでした。なんともいえない気持ちのいい元気村です。

元気村の夕日

 ところで、今年2月に義母が亡くなったので、喪中欠礼のはがきを出しました。限りなく優しい、頑張り屋の義母でした。近頃「親ガチャ」という言葉をよく聞きますが、産婦人科医の池川明さんの著書で「子どもはあなたに大切なことを伝えるために生まれてきた。」(青春出版社)の中に、次のようなことが書いてあります。こうであれば、我々は誰もが「自分で親を選んで生まれてきた」ということになり、「親が勝手に生んだ」とか「生まれてこようと思ったわけではない」などということはないということになります。そうなんだぁ~。(笑)

生まれる前の記憶を調査するうち、私は不思議な「記憶」と出会うようになりました。体内記憶、誕生記憶にとどまらず、「お母さんのおなかに宿る前」について語る子供がいるのです。 

幼い子どものファンタジーと思われるかたもいるかもしれません。 

ところが、不思議なことに、子どもたちが語る世界は、細かい部分は違っていても、いくつかの共通するイメージがあるのです。 

 

おなかに宿る前は、「雲の上」のような、ふわふわとして安らぎに満ちた世界で、自分と同じような子どもと一緒にいたこと。 

天使や神さまのような存在に、優しく見守られていたこと。 

そして、自分の意思で生まれることを決め、お母さんを選んで、この世にやって来たということ、などです。 

 

たとえば、子どもたちはこんなことを語っています。 

「お空から見ていて、あの人がいいなと思ったら、おなかに入るんだよ。ママはベランダにいたから、飛んできて入ったよ」 

「優しそうなお母さんを見つけて、おじさんに『あの家がいい』と言った。それで生まれてきたんだよ」

 「空の上から、弟と一緒にお母さんを見ていたよ。ぼくが『先に行くね』と言って、生まれてきたの」。 

 

子どもたちがお母さんを選ぶ理由は、それぞれ異なります。 

「優しいお母さん」「かわいいお母さん」が人気ですが、「寂しそうなお母さん」「泣いているお母さん」を選ぶ子どももいます。 

そういう子どもたちは、「ぼくが来たら、ママはさみしくないかなと思ったの」「ママに笑ってもらいたかったから」と、語っています。