元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

満ち足りた状態で努力をする

 今日は、無人販売の陳列後、夫婦で健康診断に行ってきました。昨夜は禁酒をして、万全の態勢で臨みました。結果は、年相応のまぁまぁでした。(笑) 無事通過を記念して山形蕎麦「やま久」で鳥中華をいただきました。まいう~。

 健康優良児でありたいとは思いますが、血圧にせよ筋力にせよ、若いころのようにはいかないのは当然です。無理もききません。老化を受け入れながら、それなりに人生を楽しんでいきたいと思います。「もっともっと」は、自然ではないですよね。(笑)

本日の無人販売

仙台市六丁の目 山形蕎麦「やま久」の鳥中華 まいう~

 ところで、努力しなさい、良い学校に行きなさい、大きな会社に入りなさい、より多くの収入を得なさい・・・というのは、悪魔のささやきなのだそうです。(笑)

 なぜなら、その裏には「現状に満足していない」「不満がある」「文句がある」ということなので、今の状況に不平不満があるということで、「今の状況が、今に自分にちょうどいい」「自分に起きてくることは、すべて必要・必然・ベスト」である「大自然の法則」に、逆らうこと、つまり、「神様に対して喧嘩を売る」ことになるのです。(笑) 神様に喧嘩を売って、勝てるわけがないですよね。(笑)

 かと言って、努力することを否定している訳でもありません。小林正観さんが「正しい努力」について解説していますので引用します。

 努力はしてもいいんです。でも、渇望感から努力をしている人は気をつけたほうがいい。これは悪魔さんのなせる業(わざ)。求めて、渇望感があって、足りない、足りないもっと、もっとという「希望、夢、努力」。これは気をつけてください。
 悪魔さんが、もっと、もっと・・・まだまだまだ・・・・これでは、いつまでたっても満たされることはないんですね。仮に一千万円貯めたら幸せになれる。そう思って一千万円貯めたら、1億円持っている人が沢山いるのに気づきます。1億貯める。頑張って、頑張って10億貯めたら忙しくて過労死。

 という心があるということで、じゃあ努力はしてはいけないんですか?と聞きたくなりますね。努力はしてもいいのか?
 努力はしてもいいんです。努力は渇望感じゃなくて、心から幸せがあふれている状態。そんな満ち足りた状態で努力をするというのはいいんです。楽しくて、おもしろくて、自分が好きなことを、ちょっと、ちょっとと上乗せして努力する。それはいいんです。そんな人の努力は幸せです。

 常に「もっと、もっと」「人を蹴落としてでも」と心を濁らせて行う努力はやめた方が良いようですね。それよりも現状、与えられた環境に感謝して、ひたすら今目の前のことを、心をこめて行っていけば幸せになれるようです。