元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

「求めよ、さらば与えられん」の本当の意味

 昨日今日と梅雨を迎える前に、なんとか育てた苗をすべて定植しようと頑張ました。スッキリ!!です。(笑)

 「キタアカリ」と「ズッキーニ」も収穫出来ました。これから夏本番に向けて、これまでの苦労が報われると思います。たぶん(笑)

間もなく梅雨入り

キタアカリ初収穫

 ところで、ドリームジャンボ宝くじの発売が6月7日まででした。買おうかどうか迷いましたが、経験上「買わないと当たらないが、買っても当たらない」と悟って(笑)しまったので、買いませんでした。

 宝くじが外れるたび、よく家族で話題にするのですが「求めよ、さらば与えられん」というのは嘘だよな~。」と。(笑)

 渡辺和子さんがその著書「どんな時でも人は笑顔になれる」の中で、「求めよ、さらば与えられん」の本当の意味を教えてくれています。抜粋して引用します。だよね~(笑)

・もし私が祈ったことが全部叶えられたら、どうなるのだろう

・神様のお役目というものは、 

人間の願いを全部叶えることなのだろうか
・いくら祈っても、所詮(しょせん)神はご自分の好きなようになさるのだとしたら、

 祈っても、祈らなくても同じではないか

その上で渡辺さんはイエスの言葉を紹介します。

・求めなさい。そうすれば、与えられる。
・探しなさい。そうすれば、見つかる。
・門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、

・求める者は受けとり、
・探す者は見つけ、
・門をたたく者には開かれる

そして渡辺さんは続けます。

でも、この言葉には

・求めたもの、そのものが与えられると約束されていませんし、
・探したそのものが見つかるとも約束されていません。
むしろその後には

あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、
魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。
卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょうか。

してみると、あなたがたも悪い者ではあっても、

自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。

とすれば、なおのこと、天の父が求める人たちに、

どうして聖霊を下さらないことがありましょうか。
と続く言葉があって、求めたものの「代わりに」

何かを下さる可能性があることを示唆されています。

祈ることは大切なことです。
しかし、人々が願う前から、

その必要とするものを知っておられる天の父は、
人間が願ったことをそのまま叶えることをもってして、
ご自分の、その人に対する愛の証、とはなさらないのです。

なぜならば、私たちはいつも、
「欲しいもの」を願っているからであり、
それに対し、
神様が私たちに叶えてくださるのは

私たちの魂にとって「必要なもの」だからです。