元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

絶えず「他人との比較」の中で生きている人

 本日も快晴。秋晴れでした。今日は「畝立て作業」に全集中でした。汗ばむ肌に、爽やかな風。最高でーす。(笑)

秋晴れ、天晴れ、日本晴れ。

 ところで、昨日、一橋大学の「楠教授」の記事を紹介しましたが、続きがあります。それは、私のようにブログを書いて、「自分はこんなに幸せ」と言わんばかりに、盛りに盛った個人情報をあえてネット上にオープンにして、周囲からの承認を求めている人の心理です。グサッ・・です。(笑)

 確かに、そうかもしれません。が、軽トラとトラクターを自慢することは、「他人との比較」になってはいないような・・・??(笑)

「満足」の対極は「不満足」ではない

 幸・不幸に関する名言はたくさんあります。ダンデミスは「他人の幸福をうらやんではいけない。なぜなら彼の密かな悲しみを知らないのだから」と言っています。この通りだとすれば、栄光を極める大谷翔平選手にもアレクサンダー大王にも人知れずつらい思いや悲しみや苦悩の時間もあるはず。でも、嫉妬に狂う人は視野も狭いため、それを想像することさえできない。

 

 言うまでもなく、幸福感は主観的なもので決まります。幸福は、外的な要因よりも、その人自身の頭と心が感じることです。自らの中に抱く価値基準を自分の言葉で獲得し表現できたら、その時点で幸福なのです。「これが幸福だ」と自分で言語化できている状態、これこそが幸福にほかなりません。

 

 ところが、社会にはさまざまな撹乱要素があります。高度にデジタル化したソーシャルメディアもそうです。SNSほど人の幸福感を揺るがすものはありません。そこは嫉妬が幾重にも渦巻く世界です。フェイスブックやインスタグラムに投稿する人は、意識的か無意識的かは別にして「自慢」をします。フェイスブックに時間を費やすと悲しい気持ちや寂しい気持ちになる、という学術的な調査結果がありますが、なぜ、人の気分に悪影響を与えるのか。実は、これも比較が元凶なのです。

 投稿者のほとんどは自分の人生の良い部分を披露します。家族で食べたレストランのご馳走、かわいい子供の表情、素敵な休暇、輝かしいキャリアなどを示唆した写真や文を見せつけられると、「なんて素晴らしい毎日を過ごしているんだ、それに比べて自分はパッとしない」と、得も言われぬ敗北感やモヤモヤを感じさせられるわけです。

 しかし、見方を変えるとどうでしょうか。そうやってキラキラした写真や文をせっせと投稿している人はどんな心理状態なのか。「自分はこんなに幸せ」と言わんばかりに、盛りに盛った個人情報をあえてネット上にオープンにして、周囲からの承認を求めている。

 それは幸福か不幸かでいえば、後者の人の行為であるように思われます。こういう人もやはり自分の価値基準が確立していない、絶えず「他人との比較」の中で生きている人かもしれません。そもそも大谷翔平選手は自身のホームラン写真をSNSに掲載しません。本当に充実し幸せな人はそうした顕示欲を出すことはないのです。