元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

心は言葉に現れ、言葉は体の表現となる。

 今日も、明日は「暴風雨」ということで、全力で農家してました。野菜嫌いな孫が、唯一好んで食べる「スナップエンドウ」を定植しました。また、村民1号も手伝いに来て、「キタアカリ」の種芋を植えました。この作業で体は、いっぱいいっぱい。晩酌が楽しみです。(笑)

スナップエンドウ。美味しく、美味しく、美味しくなーれ。

村民1号も大活躍。

 ところで、私の手は、一昨日やっと「抜糸」となり、全治2週間のケガでした。「心は言葉に現れ、言葉は体の表現となる」という格言がありますが、今回の私の場合の「体の表現」は、「手を切る」ということになりますので、反対から「どんな心だったのか」を考えてみました。

①体の表現 ⇒ 手を切る

②言葉に現れる ⇒ 手を切るの意味は、辞書によると「それまであった関係を絶つ。主に好ましくない人物との縁を切るのに使われる。」とあります。

③心 ⇒ サラリーマン人生と関係を絶つ。好ましくないサラリーマン生活との縁を切る。

・・・ということになります。まさに格言どおりでした。(笑)

 おやじギャクのようですが、なかなかの真理だと思います。