元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

受け入れると肯定するのとは違う。

 今日は「そうだ!! 踊るファーマーになろう!!」ということで、ブルートゥースのイヤホンを新調し、懐かしいDISCOの音楽を聴きながら、ノリノリで種蒔きをしていました。 ♬めざせモスクワ (笑)

小茄子と長茄子を播種

 ところで、季節の変わり目のせいでしょうか、自律神経を乱す人が多いようです。とくに人間関係で悩む人がいて、大変そうです。

 枡野俊明さんがその著書『悩まない練習』(プレジデント社)で、「相手を変えようとしないで、自分を変えること」を推奨しています。抜粋して引用します。

・・ところで、人の悩みの多くは、人間関係からくるものです。人間関係のもつれは、相手がいなくなれば問題はなくなりますが、ずっと継続してつき合っていかなくてはならない相手であれば、何とかしなくてはと考えます。

そのとき、「相手のこんなところが変わってくれたら」とつい思ってしまうことはないでしょうか。

ところが、相手の苦手な部分を遠回しに指摘したところで、素直に肯定してくれることは滅多にありません。むしろ、へたに刺激すれば怒り出されるだけでしょう。

相手は変わるどころか、ますます意固地になり、解決からは遠のいてしまいます。それどころか、自分の思い通りにならないことに、かえってストレスが増すばかりです。

人の性格や行動パターンを変えようとすることほど、不毛なものはありません。

誰であれ、小さい頃から何十年と培ってきた性格や習慣が、一朝一夕に変わるはずはないのです。

家族など近しい関係にあると、なおさら相手を変えようと躍起になったりしますが、変えようと思えば思うほど、お互いにストレスがたまり、泥沼にはまっていくばかりです。

友人にしても、生まれた場所も、育った環境も、受けた教育も、何もかも違ったりするわけです。

こうしてほしいと相手に願うことは、基本的に自分の価値観や尺度の押しつけでしかありません。

そこで視点を百八十度変えます。相手を変えるのではなく、自分が変わろうと考えるのです。相手を変えようとするのは、相手に期待することですが、その気持ちをあっさり捨て去ります。

いままでは嫌な部分に触れると相手のすべてを否定したくなったかもしれませんが、それをやめます。受け入れるのです。

受け入れるといっても、肯定するのとは違います。受け入れるとは、「こういう人なんだな」と、まずは、あるがままを認めることです。人はそれぞれ生まれ育った環境があり、経緯があります。こんな嫌なものを出してくるのは、その人の歴史がそうさせていると理解してあげるのです。

そんな姿勢で接していけば、気持ちに余裕が生まれます。すると相手は、いつもと感じが違うなと気づきます。自分を拒絶していたものが和らいでいる。そう感じただけで、おもしろいことに、その人のいい部分が自然と出てくるようになったりするのです。