元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

善いと思うことは、できる限り行動に移そうよ

 手の傷も順調に回復し、包帯から絆創膏になりました。消毒と殺菌処理も自分でやってよいとのこと。「やったー」ということで、早速農作業を始めましたが、ビニール手袋に穴が開いて絆創膏が真っ黒に・・・ヒェー・・・!?

 これは無理だということで、この間無駄足となったホームセンターに、再度農業資材を受け取りに行きました。担当の人は同じAさんでしたが、この間の事件のお詫びもなく、何もなかったことになっていました。(笑)

 なおかつ、注文数を勝手に変更しており、「変更されたんですよね」「いいえ、料金は注文数どおりお支払いしていますよ」「そうですか、じゃぁ元通りですね」「はい、お願いします」・・・。

 しばらくして、不足していた分を運んできました。数を数えると、今度は注文数より多く持ってきました。「しめしめ、相手が間違ったんだから、このまま知らん顔していただいていこう、この間の迷惑料だな」とも思いましたが、私の内在神が許しませんでした。(笑)

 「これ、2本多いですよ」「あれー、そうですかぁ」と・・・「この人また、B上司から叱られるるだろうな」と思い、「きちんと在庫あわせてくださいね」と指導して帰ってきました。言わなきゃならない義務はもちろんないのですが、やはり私は職業病です。(笑)

ランチは「ねぎっこ」のネギ味噌ラーメンセット

 ところで、横浜創英中学・高等学校校長の工藤勇一さん麹町中の校長時代に配布したコラムです。「心と行動、どちらが大事か」について書いています。引用します。

 先日の3年生の修学旅行において、奈良の薬師寺の僧侶の方がこんな話をしてくれました。

「心の持ち方、あり様によって行動が変わり、行動を変えると心を変えることができる。」と。

具体的にはこんなニュアンスのお話だったでしょうか。

「『面白くない、つまらない』と思って授業を受けていると、ついつい頭が下がり、居眠りしてしまったりする。それは、自分の中にあるぐうたらな心が自分の行動をそうさせているのだと。しかし、たとえ、寝不足などで体がひどく疲れきっていたとしても、無理やりにでも姿勢を正し、頭を上げ、顔をしっかり意識して向けていくことによって、元気な心が生まれてくる」

心が行動を決め、行動は心を変える。薬師寺でのお話は心と行動の密接な関係を捉えたとても興味深いものでした。

さて、人は時々「心」にこだわることがあります。特に中学生ぐらいの年代は、自分の心のあり様がとても気になる時代です。自分を見つめ、自分の生き方を深く考える。それは、自分を成長させるためにとても大切なことです。素敵なことだと思います。

しかし、心にこだわりすぎると、善いことをしようと思っても、人目を気にするあまり、臆病になってしまうことがあります。実際せっかく善い行動をしても、「本当はあの人、優しくないのにね」「いい子ぶっているだけだよ」「結局、内申のためだよね」など、否定的に捉える言葉が聞こえてくることがあるのも残念ながら人の世の現実です。

しかし、ここでよく考えてみましょう。ここに、まったく正反対の二人がいるとしましょう。一人は「心の底から優しいことをしたいと思っているのに人目を気にするあまりできない人」。そしてもう一人は、「決して純粋な理由ではないけれど、善いことを行っている人」です。

さて、どちらがより人として価値があるのでしょうか。

人は行動の積み重ねでこそ評価されていくものだと私は思います。そもそも人の心の中など簡単にわかるのでしょうか。私などは自分の心さえ、よくわからないところがあります。誰しもきっとそんなものだと思います。だから生徒の皆さんに言いたい。

「善い行いをしている人をけなしたりしないで。そして、善いと思うことは、できる限り行動に移そうよ」