野菜の無人販売を再開します。今日若林郵便局に「3月4日から再スタートします」ということで申し込んできました。
当面は、「サニーレタス」「つぼみ菜」「菜花」の3種類です。越冬ですので、当然無農薬。美味しく食べて欲しいですね。(笑)
ところで、桃野泰徳さんがイチロー選手と卯木監督の出会いを取り上げ、
「運が悪いと考えていること自体が、すでに他責でありリーダー失格である」と説いています。いつもながらなるほどです。抜粋して引用します。
「運が悪い」と口に出す人は、自分で悪運を招きこんでいる | Books&Apps (tinect.jp)
・・・話は変わるが、令和の時代に世界で活躍するプロ野球選手と聞かれたら、思い浮かぶのは大谷翔平(文中敬称略)だろうか。
しかし10年ほど前まで、それ以上にメジャーリーグと日本人を熱狂させた選手がいた事をご記憶の人も多いだろう。
首位打者7回などの大記録を引っ提げて米メジャーリーグに渡り、その勢いのままに新人王、MVP、首位打者などの主要タイトルを総ナメにし、長年にわたり全米を熱狂させる。
さらに2004年、31歳の時に打ち立てたシーズン262安打はメジャーリーグ史上最多記録であり、未だに破られていない。
文字通り、日米両国の記録・記憶に残る偉大なスター選手である。
しかしそんなイチロー。高校時代、そしてプロ野球に入ってからも暫くの間は、決して一流と言えるような選手ではなかった。
愛工大名電高時代には、甲子園に2度出場するもいずれも初戦敗退。
ドラフト会議では4位指名でのオリックス入団であり、決して注目を集めたとはいえないプロデビューとなる。
さらに試練は続き、プロ3年目の1993年、20歳の時の成績は43試合出場で12安打、打率1割8分8厘と低迷を極めた。
もはやいつ戦力外通告をされてもおかしくない、3流以下の選手として4年目を迎えたのである。
そして正念場となるシーズン、開幕してすぐの94年4月のこと。
ダイエー戦に0-3で敗れた帰り道で、イチローの人生に転機が訪れる。
イチローの才能を見出したオリックス監督、仰木彬(当時)はショボくれた顔をする彼を見つけるとこんな声を掛けた。
「お前、なにをそんなに暗い顔してるんだ?試合の勝ち負けは俺に任せとけ。お前、二塁打1本打ったじゃないか。それでいいんだ。お前は自分のことだけ考えてやれ」
(デイリースポーツ:イチローが語る仰木監督)
チームプレイでは、チームのために戦うマインドを常に求められる。
しかし仰木は、成績の振るわないイチローに対し、
「お前は自分のやるべきことだけ、しっかりやれ」
と喝を入れ、その結果責任を全て負うと宣言したのである。
「調子のいいこと言っても、どうせ成績が出ないと2軍に落としてクビにするだろう」
そんなふうに思うだろうか。
しかしこの話には、実は伏線があった。
繰り返すが、前年のイチローの成績は43試合出場で12安打、打率1割8分8厘と、もはやプロとして通用しないことを示した不本意なシーズンとなった。
しかしそのオフの宮古島キャンプで、仰木はイチローのスイングに目を奪われ、類まれな才能に気がつく。
そしてオープン戦でこの“ポンコツ”を出場させ続けると、スタッフにこう宣言した。
「こいつはええぞ」「今年、最初から使うぞ」
(プレジデントオンライン:無名選手だったイチローに、オリックス仰木監督がひとつだけ施した”手直し”の中身)
この時のことを、当時オリックス広報部員だった横田昭作は、やはりプレジデントにこう語っている。
「仰木さんは、やれると思ったらずっと使うんです」
想像してほしいのだが、自分なら本当にこんなことできるだろうか。
勝ち負けに全責任を負う監督であり、結果次第では即日、クビになりかねないのである。
打率2割以下の選手など、どう考えても2軍に落とすのが当然の判断だろう。
そんなイチローを1軍で出場させ続け、「お前は自分のやるべきことだけ、しっかりやれ」と、喝を入れたのである。
その時のことをイチローは、こう述懐している。
「その瞬間から自分のためではなく、この人のためにやりたい、と思った」
「自分のためにやれ」と言われたのに、「この人のためにやりたい」と決意を固めるー。
まるで逆だが、これこそ本物のプロ同士が、共鳴した瞬間だったのだろう。
お互いの為に責任を取り合う覚悟を決めた、まさに歴史的選手が生まれた瞬間である。
それを裏付けるようにイチローは、デイリースポーツのインタビューに、このようにも答えている。
「自分のプレーによって監督が恥ずかしい思いをするかもしれない。『監督に守られてる』っていうのはこういうことですから」
リーダーが責任を取り切る覚悟を示した時、部下もまた覚悟を決め、リスクを恐れず躍動し始める。
これこそ、リーダーにのみ切ることができる唯一無二の最強カードだ。
そしてこの年、イチローは全130試合にフル出場し、打率3割8分5厘の大記録を打ち立て、そのまま世界に駆け上がっていくことになる。
・・・仰木監督は20歳のイチローのセンスを見出すと、自分のキャリアと引き換えにしてでも、この若者を育てるリスクを背負った。
そのことに共鳴し、イチローが確変モードに突入したことは先述のとおりだ。
名将と邂逅できた、運の良さと表現してもいいだろう。
しかし結局のところ、“運の良さ”とはこんな表現に集約できる。
「この人たちのおかげで、今の自分がある」
そして“運の悪さ”は、こうだ。
「こんなに頑張っているのに、なぜうまくいかないんだ」
運の良さとは感謝の潜在意識であり、運の悪さとは他責への転嫁ということである。
仰木監督と出会い本来の力を引き出されたイチローは、きっと自身の運の良さを今も噛み締めているだろう。
・・・組織や部下の結果が出ず、運が悪いと嘆いているリーダーには、ぜひ考えて欲しい。
その認識にこそ、根本的な原因があることを。
運が悪いと考えていること自体が、すでに他責でありリーダー失格であることを。
本物のプロに出会うことができればきっと、そんな事実に気がつけるはずだ。