元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

責任は俺が取るからやってみようぜ!

 昨日は、日中あえなく撤退したので、「朝に全集中」することにしました。ハウスの水かけをしてから、耕運まで出来ました。

 その後、軽トラ脇の日影で「弁当」を食べました。目の前には、青々とした大豆畑が広がり、なんともいえない清々しさ。「幸せだな~」「美味しいな~」とセロトニンが身体中に満ち満ちました。(笑)

朝食の愛妻弁当。まいう~

目の前に広がる大豆畑

 ところで、桃野泰徳さんが、「仕事ができる、誰からも愛されるビジネスパーソン」に通底する価値観について、こんなことを書いています。抜粋します。

「仕事ができて、誰からも愛されるビジネスパーソン」に通底する価値観とは | Books&Apps (tinect.jp)

・・例えばこんな状況を想像して欲しい。

「今年のボーナスは、2つの選択肢を用意した。1つ目は50万円の無条件支給。2つ目はコインの裏表ゲームで、勝てば100万円、負ければ0円。どちらにする?」

 こんなことを言われたら、ほとんどの人が50万円を選ぶだろう。しかし合理的に考えれば、この条件で受け取れる報酬の期待値はどちらも50万円なので、全く同じだ。なんなら無条件支給が49万円であっても、そちらを選ぶ人のほうが多いのではないだろうか。

 つまり私たちは「機会を失うよりも、損をすることに、より大きな心の痛みを感じる」ということだ。それほどに人は、「得をしなくてもいいから、損をしたくない」という抗いがたい本能に支配されているということである。

 

 その一方で、面倒見のいい上司、豪放な同期、子どもみたいな好奇心で仕事を楽しんでいる取引先の社長…。こういった人たちは総じて、リスクとはいえないようなリスクを恐れない。言い換えれば、“当たれば100万円”を選ぶことを躊躇しない合理性を持っているということだ。なぜか。

 面倒見の良さとは、裏を返せば「人間関係への投資」だ。“回収”できない可能性も確かにあるが、しかし部下や友人のために使う “投資”など大したリスクではなく、しかもリターンが大きいことをよく知っている。

 好奇心にあふれる社長も同じで、さまざまなことに挑戦するリスクなど大したことではないことを理解している。そしてそのような「リスクを恐れず、キラキラした目で可能性を追求する人」を、私たちは豪放な人と感じる。

 

 しかしプロスペクト理論の“種明かし”を知ってしまえば、実はこん“リスク”など大したものではないことが、よくわかるだろう。「リスクにではなく、可能性にこそ敏感なビジネスパーソン」を目指せば、実は全く同じ期待値で、誰だってそんな人になれるということだ。

 

・・もちろん、考え方を急に切り替えるのは簡単なことではない。年齢を重ねるにつれ、私たちには“何かを失う心の痛み”が蓄積され続けるのだから当然だ。だからこそ、組織や企業を率いるリーダーにこそ勇気を持って、こう口に出すことをクセづけて欲しいと思っている。

 

「おもしろそうじゃん、責任は俺が取るからやってみようぜ!」

 

 想定されるリスクなど、本当は大したものではいことくらい実は誰だってわかっているはずだ。それができればきっと部下も組織も、もちろん自分も変わることができる。

 リスクを想定して仕事をすることは大切ですが、リスク回避に囚われて、「何もしない」「チャレンジしない」職場が増えたように思います。

 昔々、「俺は、自動押印機だから」と言って、稟議書のハンコを黙って(やってみろ!!と)押す上司がいました。今でもお付き合いがありますが、なるほど、そういうことだったんですね。