元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

あの世で必要なのが執着を捨てること

 昨日は出勤日でしたが、半休をいただいて友人の母の通夜に参列してきました。場所は福島県伊達市梁川町伊達政宗公が初陣の時に祈願した八幡神社があるところです。帰りは、先月17日にせっかく伊達市まで行ったのに食べ損ねた、保原駅前の「麺次郎」に行きました。ここは「味噌ラーメン」と「親子丼」がお薦めです。

入口にある看板

坂道の途中にある鳥居

・・だそうです。

お薦め味噌ラーメン まいう~

親子丼もトロトロでまいう~

 ところで、友人の母親は享年97歳。眠るようにお亡くなりになったようです。大往生です。苦しまずにあの世に旅立つのは理想ですよね。

 あの江原啓之さんが、その著書「あの世の歩き方: この世じまいの“地図”を手にすればもう迷わない!」」の中で、あの世のことを説明しています。なるほど。なんとなく納得です。(笑)

あの世とは心象風景の世界で、自分の心が投影される感性の世界です。

デパートで買い物するのが生きがいの人は、あの世でもショッピングをしている。仕事がアイデンティティだと思っている人は、あの世でも働いて、お金を得ている。政治家も、宗教家も同じで、あの世でも演説をしたり、宗教を説いている。

それらを「執着」といい、こだわり、意地や、どうしてもこれでなければ嫌だと思ったり、これしかないと決めつけたりすること。

しかし、想念の世界だから、お金もいらないし、仕事も、宗教も、関係ない世界。

だから、あの世で必要なのが執着を捨てること。

執着を捨てるのに長くかかる人もいれば、さっと頭を切りかえられる人もいる。

そして、あの世では、例えば、お金に執着がある人は、お金に執着している人が集まる世界に行く。

人間関係や生き方の執着、すなわち、悪口や愚痴や文句ばかり言う人も、不平不満を言う人も、みんな同じような人が集まる世界に行く。

・・・なのだそうです。あの世でも「村長通信」を書きながら、農作業しているのでしょうか。それも楽しいかも。(笑)