今日は、9月24日に福島県富岡町で開催される、「東日本大震災慰霊供養」の準備会議に参加してきました。当日は、東北6県はもとより、東京・関東・新潟・北海道からも有志が参加し、厳かに勤修されます。
大熊ICで降りて、現在の状況を確認しながら、富岡町に向かいました。帰還困難区域がまだまだあり、「強制的にストップがかかった生活」の跡に、心が痛みました。
ところで、仕事でも、私生活でも「困っている人」は、いっぱいいますが、「助けてくれ」とはっきり言う人しか、助けないほうがいい。という、Book&Appsの安達裕哉さんの記事を紹介します。
なるほどです。私も勝手に助け船を出して、失敗したことがいっぱいあります。反省です。が、沈んでいく船に乗っていることに「気づかせる」ことも、時には必要かとも思います。なかなか難しいですね。
「助けてくれ」とはっきり言う人しか、助けないほうがいい。 | Books&Apps (tinect.jp)
仕事においては、「人を助ける」という行為は、美徳に見えますが、意外にもそれなりの思慮を必要とします。
場合によっては、せっかくの行為が、単なる自己満足になることも。
というのも、「助けないこと」と「助けること」を天秤にかけると、あえて助けないほうが良かった、という結果もかなりの頻度で起こるからです。
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実は昔、私はお世話になった方から「勝手に人を助けるな、「助けてくれ」とはっきり言う人しか、助けないほうがいい」と言われたことがあります。
「どういうことですか?」と聞くと、彼は次のようなことを言いました。
まず、「勝手に人を助ける」とは、はっきりと助けを求められていないのに、何となくその人を助けてしまうこと。
いわゆる「善意」に近い。
しかし「善意」は問題を引き起こしやすい。
なぜか。
一つ目、当人が失敗して反省するという貴重な経験を奪う
命に関わる失敗はまずいですが、オフィスワークでそのようなことはまず、起きません。
むしろ、失敗から学ぶことは非常に多いので、失敗する前に助けてしまうと、いつまでたっても一人前になれません。
二つ目、自分からヘルプを出せない人に未来はない
ヘルプを自分から出すことは、社会人の必須の教養です。
部下には「助けてほしいときは「助けてくれ」とはっきり言うこと」と、徹底して教えましょう。
三つ目、勝手に助けると、感謝されるどころか、嫌な気持ちになるかもしれない
三番目については、不思議な気がしたので「なぜですか?」と私は突っ込んで聞きました。
すると彼は「求めてもいないのに、余計なことをするな」という人もいるし、助けると「助けるのが遅い」「助け方が悪い」「上から目線」とか、理不尽な人も少なくない、と言いました。
あるいは「助けてもらって当然」という態度をとる人もいます。
もちろん、理不尽な人はそれほど多くないでしょう。
しかし、「善意」は必ずしも、意図したとおりにならない、というのは、先輩の言うとおりだと思いました。
ですから私もよほどの事態ではない限り、
「「助けてくれ」とはっきり言う人しか、助けない」
という方針を採用しました。