♬ピチピチ ジャブジャブ ランランラン 待ちに待った雨が降ました。今朝は小躍りしながら、キャベツと白菜の定植作業を行いました。雨に濡れるのがこんなにも楽しいなんて・・。(笑)
ところで、毎日を楽しく暮らす人は、もっと楽しくなります。反対に、不平不満で暮らす人は、もっとひどく苦しい生活になっていきます。イエスキリストが、言ったとされる「許す者は許される。許さない者は許されない。裁く者は裁かれる。裁かない者は裁かれない。」のとおりなんですね。小林正観さんの言葉を引用します。
宇宙には「投げかけたものが返ってくる」(投げかけないものは返ってこない)という法則があるようです。仏教では、「動」と「反動」、物理学では「作用」「反作用」と呼びますが、同じことです。
私が48歳のとき、宿泊先のホテルの部屋で、キリストの生涯を綴った映画を観ていたときのことです。32歳のキリストは、弟子たちに向かってこう言いました。「許す者は許される。許さない者は許されない。裁く者は裁かれる。裁かない者は裁かれない」
キリストのこの言葉を知った瞬間「神という存在がいて、神の子がキリストである」ということを確信しました。
私がキリストと同じ結論、つまり「投げかけたものが返ってくる。投げかけないものは返ってこない」「愛すれば愛される」「愛さなければ愛されない」、「感謝すれば感謝される」「感謝しなければ感謝されない」、「嫌えば嫌われる」「嫌わなければ嫌われない」、「憎めば憎まれる」「憎まなければ憎まれない」という法則に気づいたのは、48歳のときですから、キリストが32歳でこの考えに至ったということに、私はものすごいショックを受けました。「その若さで体験だけで『宇宙の法則』に至るわけがない」と思ったからです。
「だって正観さん、たった16年の違いでしょう?」と思われるようですが、違います。48歳と32歳の情報量の差は、「2の16乗の違い」があるのです。
ではキリストは、なぜこの事実を知っていたのでしょうか。「唯物論」としていえば、多分、神からこの構造論を聞いていたからでしょう。「つらい」「苦しい」「悲しい」「悔しい」と言い続けていると、まわりはより一層そうなる。体に不調な場所が増え、故障と痛みが増幅します。
「そんなに生きているのがつらいなら、早く死んじゃいましょう」と体が勝手に反応して、どんどん悪くなっていくのかもしれません。逆に、「ラッキー」と喜び続けていると、どんどん元気にどんどん幸せになっていくのです。
宇宙の法則には、「何をしたらよくて、何をしたらだめだ」というのはないようです。他人に喜ばれることをしたら、自分も喜びに感じることをいただくというように、「投げかけたものが返ってくる」という法則が働いているだけです。
「友だちがいない、電話もない、誰も近寄ってこない」と孤独を感じている人は、自分から働きかければいい。みんなが自分を愛してくれないと言っている人は、自分からは何もしていないからかもしれません。
まず自分で投げかけてみる。それが第一歩ではないでしょうか。