今日の元気村は30度を越えましたが、昨日までと比べるとなかなか過ごしやすい一日でした。湿気が少なかったのかもしれませんね。
元気村を「隠れ家的憩いの場」にすべく、事務所の模様替えをしています。完成形は「限りなくカフェ風」です(笑)。現役村民が「自宅にあると邪魔になる」ということで、「ヨギボー」も持ち込むようです。どんな部屋になるやら・・・(笑)
ところで、近頃やたらに威張り散らす昭和の上司が姿を見せなくなりました。一方で、マスコミでは議員さんやら社長さんの「昭和の上司ぶり」が絶滅危惧種(笑)のように紹介されています。
桃野泰徳さんが、「時代の価値観に合わない」と一刀両断しています。痛快ですので、抜粋して引用します。
「批判を仕事にする」のは、もうやめろ。 | Books&Apps (tinect.jp)
「不機嫌をまき散らす上司」と聞けば、おそらく多くの人が眉をひそめるのではないだろうか。
きっと誰にでも、心当たりがあるだろう。
イラ立ちを顔に出し、乱暴な言葉で部下をコントロールしようとする輩である。
あろうことか、指示を求め話しかける部下にまで暴言を吐き、仕事をぶち壊すような管理職も珍しくない。
こういった人がリーダーにふさわしいと考える人などいない。
にもかかわらず、このスタイルで部下を抑圧し、おかしなリーダーシップを発揮しようとする人は本当に多い。
政治家などはその典型で、怒りに満ちた顔で先鋭的に他者を攻撃することが“仕事”と考える。
マスコミもまた、長年、他者・他社を徹底的に攻撃・批判することを“オピニオンリーダーの仕事”と考え続けてきた。
しかし時代は変わり現在、多くの人はこのやり方に大きな嫌悪感と反発を持ち始めている。
怒りで歪んだ顔、攻撃的な言葉など、私たちは基本的に嫌いなのだから当然だ。
感情的な怒りは「対話の拒絶」「強制排除」なのだから、時代の価値観にも合うわけがない。
・・不機嫌で部下をコントロールしようとする上司、ノーの抑圧で人を屈服させようとするリーダーは成功できない。
そしてこのような、「昭和の価値観」なリーダーがぶち壊してきたものは想像以上に大きい。
“失われた30年”の主因は、実はここにこそあるからだ。
・・不機嫌で部下をコントロールしようとする上司、ノーの抑圧で人を屈服させようとするような「昭和のリーダー」は、何をぶち壊してきたのか。
“失われた30年”をど真ん中で生きてきた昭和世代は、常に「批判こそが正義」の空気感の中で仕事をしてきた。
失敗をあげつらい、攻撃する人が“正義”として評価される社会である。
こういった社会では、成功は評価の対象にならないので、誰も難しい仕事に挑戦しない。
失敗を結果論で否定する、“批判上手”な人が評価されることすら、珍しくなかった。
マスコミなどのメディアも同様で、失敗や醜聞を探し出し、誇張し、“批判競争”をすることで部数を伸ばす。このようにして、歪んだ批判社会ができあがっていった。
こうなるとあらゆる仕事が、「どうすれば成功できるか」から、「失敗だけはしたくない」へと、目的がすり替わっていく。
「そんなことをして失敗したらどうするんだ」
「リスクがあるのでやるべきではない」
そんな言葉ばかりが飛び交う生産性の無い会議が重ねられ、やがて日本はOECDの中でも最低クラスの労働生産性に落ち込んでいくことになる。
当たり前ではないか。
・・批判が前提の社会になると、私たちのルーチンワークには次々とブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)が積み上がっていき、あるべき姿すら歪むということだ。
それがどれだけ、ビジネスや安全保障に深刻な影響を与えてきたのか、きっと多くの人が肌感覚で理解しているだろう。
だからこそこんな、「批判こそが正義」という”昭和の価値観”は今すぐにでも、改められなければならない。
ノーの抑圧で人をコントロールしようとする、非生産的なやり方を認めてはならない。