今日は村民1号の力を借りて、予定通り最後の「キタアカリ」を掘りました。午前中でほぼ終了したので、ついでに枝豆の「黒五葉」と「秘伝」も午後から定植することが出来ました。やれやれです。(笑)
これでしばらく野菜の収穫と生育管理だけの仕事になります。なにせ、いろんな野菜にチャレンジしたくて、あれもこれもと手を出したので、妻からは「もぅ限度を知らないんだから」とあきれられています。(笑)
ところで、毎朝野菜たちに「おはよう」「元気か」「暑くないか」「頑張れよ」等の声掛けを行って、「心を込めて」野菜を育てていますが、桃野泰徳さんが、「心を込めてという言葉は、従業員の心を壊し、組織を破綻させかねない危険なフレーズ」だと言います。えっなんでと思いますが、読めばなるほどです。(笑) 抜粋して引用します。
「心を込めて仕込み中!」
居酒屋さんなど準備中の立て看板で、最近見かけるフレーズのひとつだ。
お客さんを想い、誠実に串打ちをしているのだろうか。
そんな光景が目に浮かぶので、「準備中」というお知らせよりもずっと気持ちよく心に響く。
そんなこともあるのだろう。
「心を込めて 社訓」でgoogle検索をしてみると、とても多くの企業がこの“心を込めて”というフレーズを経営方針に取り入れていることがわかる。
「心を込めて接客しましょう」
「心を込めて作りましょう」
「心を込めて人と社会に尽くしましょう」
そんなニュアンスの社訓が数多くヒットする。
そのためきっと多くの人が日々、「心を込めて」仕事に取り組んでいるのではないだろうか。
しかしこの「心を込めて」という言葉。
実はこれこそが、間違った仕事を生み出す元凶ではないのか。
さらに言えば、従業員の心を壊し、組織を破綻させかねない危険なフレーズとすら考えている。
日本的な“もてなしの心”にも通じるこの価値観の、いったい何が問題というのか。
想像してほしいのだが、「心を込めて仕事をしなさい」と言われて、例えば自分なら、具体的に何を思いつくだろう。
丁寧な言葉づかい、笑顔での接客、電話は3コール以内に出る…
人により立場により、いろんな事を思いつくはずだ。
つまりこの指示は、「自分の判断で、良いと思うことをしなさい」と同義ということである。
であれば、一体何が起こるか。
私がコンビニの店員さんであれば、
「お客さんとの近い距離感の演出こそ、心の込もったサービス」
などと考えるかもしれない。
そしてお客さんにタメ口を聞き、手を握るように商品を渡し始めたら悲惨である。
客はファミチキとビールが欲しいのであって、中年のオッサンとの近い距離感など誰も求めていない。
「注文を受けてから粉をつけて、アツアツ揚げたてのから揚げを楽しんでもらおう」
オフィス街のコンビニでそんなサービスを始めたら、多くの客にはありがた迷惑だろう。
最優先順位は時間であり、そこそこの味、安価な値段で空腹を満たしたいのであって、完全にニーズを外している。
つまりこの「心を込めて」とは、自分の気持ちに向き合うベクトルが働く言葉ということだ。
自分の価値観というフィルターを通して顧客ニーズを解釈しなさいと、部下に対し相当大きな裁量権を与える指示と言ってもいい。
そのリスクをリーダーが背負えないのであれば、
「心なんか込めなくてもいいから、顧客ニーズに真剣に向き合うように」
と指示したほうが100倍マシである。