風が冷たい一日でした。昨年作った堆肥を畑に戻す作業を延々とやりました。単なる重労働なので、「レンガ積み職人」の話を思い出しながら、この仕事は「物価高の中、美味しい野菜を安く食べて、みんなが笑顔になる仕事なんだぁ~・・・」と、自分で自分を洗脳しながら、黙々と、午後3時過ぎまでかかって、やっと終了したのでした。(笑) お疲れ様ーです。
ところで、一昨日から続く「与えたものが受け取るもの」の関連話題です。バリ島に住む関西弁の大富豪丸尾孝俊さんの著書「大富豪アニキの教え」(ダイヤモンド社)の中に、与えても返さない人がいることをどう思ったらいいかを「恩を返さない、つまり不義理をして、バチが当たるのは相手のほう」だと解説していました。そうなんですよね。「与えた人から返ってくる」訳でもなく、「返ってこないことに腹を立てる」こともないのです。抜粋して引用します。
・・確かに、兄貴の言うとおり、神様がいるとしたら、他人のために努力し続ける人間、他人を大切にし続ける人間、その形の表れとして「後輩におごりまくる人間」、「人のためにお金を使い続ける人間」を、豊かにしてあげないはずはない。
でも、理屈ではわかっても、自分の経験の中では、何度か、おごったことはあったけれども、実は、あまりいい思いをしたことはなかった。
「兄貴、後輩に食事をおごったことも、過去に何度かはありました。
でもですね、おごられた後輩が感謝を示さないというか、
『先輩だからおごるのは当たり前』と思っているフシがあるというか…………。べつに、すぐに『見返り』を期待しているわけではないのですが、やっぱりひと言、『ごちそうさまでした』くらいのお礼を言ってもらいたいという思いはあって…。
おごったときに、『ごちそうさまでした』も言ってもらえないことが続くと、これをし続けても、結局、自分がお金を損するだけだと思ってしまうんです」
兄貴は、タバコの煙を、ググッと吸い込むと、ぷわ~っと、白い煙をはいた。
「あのな、いっちゃん。それでええねんて。恩を返さない、つまり不義理をして、バチが当たるのは相手のほうで、いっちゃんが損することはありえないねんて。あのな、『人のためにお金を使い続ける』と、たとえ、その本人から恩が返ってこなくても、ほかの人からいろんなものが返ってくるから心配せんでもええねんて。あ~ここだけは、絶対に揺るがないな。間違いなく、そうなっているよ、オレの経験上」
「本当ですか、兄貴」
「本当も、本当、当たり前田のクラッカーやねんて。
でも、みんなそれをわかって一回、マグロ一匹、躍り食いでもせんと、わからんのじゃないか?兄貴は、 ガッと前のめりに、顔をこちらに突き出した。
「あのな、 いっちゃ 神様は、相手を大切にして『人のためにお金を使い続ける』ことをした人間にはな、きちんと同じ分だけ返しよるねんて。それが証拠に、オレは、10~20代は、ずっと貧乏な中、そをやり続けてきたけれど、今になったら、バコーン、お金がやってきて、大富豪やねんて」
兄貴は、完全に、ニッと笑った。