今日も引き続き「落花生」の救出作戦を展開しました。途中から村民1号も参戦し、ほぼ救出に成功しました。あとは追肥をして土寄せするだけです。これで10月の「サツマイモ掘りイベント」の時に、子供たちに「生落花生」を食べてもらうことができると思います。やれやれ。
ランチは、名取市閖上の「山根屋」で日替わり定食「特製ごまだれ冷やし麺と半麻婆飯セット」をいただきました。最高でーす!!
ところで、精神科医の和田秀樹さんがその著書『50代うつよけレッスン』(朝日新書)の中で『好きなラーメンを食べて「美味いなあ」としみじみ思う、そういう喜びを感じながら残された時間を幸せに生きることが大事』だと提唱しています。和田さんに1票。(笑)抜粋して引用します。
・・行動経済学の生みの親であるダニエル・カーネマン博士(1934~2024)は、心理学の知見を経済学に統合して、不確実性のもとでの人間の価値判断や意思決定を分析した人ですが、彼はこの「幸せの基準値」を「参照点」という言葉で表現し、「参照点の違いによって、人の価値判断は変化する」と言っています。
たとえば、1億円も持っているのに1000円損をしただけで不幸せな気持ちになる人がいる一方で、1000円しか持っていないのに、100円を拾っただけで幸せな気分になる人がいます。この人たちの何が違うのかというと、得と感じるか、損と感じるかの参照点(基準)が違うわけです。
そして、参照点より上だと幸せになり、下だと不幸になるのです。
こんな例もあります。大企業の社長だった人が、入居金5億円の超高級老人ホームに入居したところ、毎日一流シェフのつくる5000円の料理が出てきたそうです。さらに、まるで高級ホテルのような豪華な内装で、スタッフもまるでホテルのコンシェルジュのような丁寧な対応をしてくれます。
しかし、現役時代に大勢の社員にペコペコされ、大金を払って銀座の高級寿司店やら高級料亭やら高級クラブに通っていた元社長からすれば、老人ホームの5000円の食事にはもの足りなさしか感じないそうです。
ホームのスタッフに丁寧に対応されても、「俺が社長の頃は、もっとたくさんの部下がいたのに……」と不満を感じてしまうわけです。現役で社長をしていた頃の満足感が、この人の参照点になっているからです。
このように、参照点が上がれば上がるほど目の前の現実に満足できなくなっていきます。つまり、参照点が上がるほど不幸になっていくとも言えます。
その反対に、若い頃からずっと貧乏で苦労していたある女性は、特別養護老人ホームに入居したとき、「毎日、おかずが3つもある食事が食べられるなんて」と感激していました。スタッフにも、「こんなに親切にしてもらえるなんて、ありがたい」と感謝しています。
参照点が低い人は目の前のものに価値を感じて、幸せを感じやすくなるのです。
人間というのは、常により良い環境を求めがちです。
その分、参照点もどんどん上がっていく傾向にありますが、普段からそれを自覚している人は多くありません。自分でも気づかないうちに、要求するものがどんどん高くなっていくのです。
ですから、参照点を低くしておくことが幸せな老後を送るコツなのですが、60代や70代になってそうしようと決めても、なかなか急に変えることはできません。
50代頃になったら、日頃から意識して参照点を低くすることを心がけると良いでしょう。
「もうそろそろ、上を目指さなくてもいいか」
「これくらいで満足しておこう」
「これだけできたんだから、まあ良しとしよう」普段からこうした意識で過ごすことで、たとえできないことが生じてきても、自分を情けないと感じることもなくなるはずです。
また、生活のなかの小さな喜びや幸せを存分に味わって生きるのも大事です。
私たちは永遠に生きられるわけではないのだから、人生の後半は好きでもない人と一緒に過ごす時間や、無理をして楽しくないことをする時間はありません。
それより、好きな人と一緒に楽しい時間を過ごすとか、好きなラーメンを食べて「美味いなあ」としみじみ思う、そういう喜びを感じながら残された時間を幸せに生きることが大事だと思うのです。