今日は風も穏やかで、絶好の農作業日和。5月の連休明けに定植する野菜の「播種」作業を、音楽を聴きながら、のんびり行いました。極楽極楽。(笑)
ところで、元気村の正式名称は「ぴんぴんコロリの里 六郷死ぬまで元気村」ですが、この「死」ということに触れる、考えるのを極端に嫌う人がいます。まぁ若い人はそうだと思いますが、還暦を過ぎたら、そろそろ「死」というものを考えた方がいいと思います。(笑)
帯津良一さんが、『にこにこマンガ88歳現役医師のときめいて生きる力』(主婦の友社)の中で、「死」についての考え方を説いていますので、抜粋して引用します。死後の世界は「いいところ」だそうです。(笑)
死から目をそむけず、死について考える、それも自分の死に時どきや死に方について考えることで、相手の死もわかるようになる、そんなふうに考えています。
医療の現場にいると、普通の人より死が近くにあります。医者や看護師はことさら死について考えたほうがいい、私はそう考えています。
ところが、日本の医療現場では「死」を語る機会がほとんどありません。死は誰にでもやってくるものですから、忌しいものでも避けるものでもありません。むしろ、私にとっては、その日を迎えるのが楽しみでたまらない、希望に満ちた「旅立ちの日」です。
死は老いさらばえて朽ち果てるものではなく、日々、内なる命のエネルギーを高め続け、亡くなったその瞬間にエネルギーが爆発し、勢いよく死後の世界に出発する積極的なものだと考えれば、死ぬことも怖くなくなります。
これは特別な考え方ではありません。「生」と「死」はつながっていて、死んだら終わりということではないのです。
・・・私の考える死後の世界は、両親や妻や友人、仕事仲間など仲のいい人たちがみんなで迎えに来てくれる。そして、そこでは、自分のいちばんいい時代の関係が復活すると思っています。
例えば、幼なじみであれば子どもの姿で、好きな女性であれば70歳で亡くなったとしてもそのときの姿ではなく、私が好きになったときの姿でしょう。父は89歳で亡くなりましたが、父は若い頃の姿で、私ももちろん子どもの姿で会う、そんなふうに考えています。
だから私は、死んだあとのことをまったく心配していません。一日一日を「今日が最後」と生きれば、ご本人はもちろんご家族も死にあわてなくなります。私の病院で亡くなる患者さんは、ご本人は静かにそのときを迎えますし、看取ったご家族もあまり泣きません。それまでにできることはやったという気持ちがあるから、静かに送り出すことができるのでしょう。