元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

いつか「この世」をちゃんと卒業できるために

 昨日の夕方、職場の先輩の「通夜」に参列してきました。突然の訃報にびっくりして、駆け付けましたが、73歳。すい臓がんだったそうです。

 年を重ねたせいもあるのでしょうが、最近、「死」というものを身近に感じるようになりました。生前の思い出ということで、スクリーンに先輩の姿が流れましたが、73年の人生が、たった5分で終了しました。人間の人生なんてこんなものなんだろうなぁーと、ため息が出ました。だからこそ、楽しく生きないと・・・と決意を新たにしました。

露地栽培のつぼみ菜が食べ頃になりました。♬もうすぐ春ですねぇ。

 ところで、小林正観さんが、三途の川を渡る時に、神さまから聞かれる質問について講演会で話していますので、引用します。ちょっと長いですが、おつきあいください。

 中堅企業の社長さんがある日、心不全か何かで心拍が停止、意識不明の重体になった。救急救命士が来て必死に心臓マッサージをした。その間、その社長さんは林の中を歩いていた。

 その林を出ると、きれいなお花畑に出た。周囲を見渡すと、いろんな人がお花畑を歩いていた。お花畑を過ぎると川のほとりにでた。その川の向こうが彼岸、俗にいう「あの世」である。

 その川幅は人によってまちまちで、10メートルの人もいれば100メートルの人もいる。また、渡り方もさまざまで、橋で渡る人もいれば、船に乗っていく人、泳いで渡る人などいろいろ。一旦、両足が岸から離れてしまうと、二度と戻ってこられないそうだ。

 

 さて、お花畑に出た社長さんの耳に不思議な声が聞こえた。「あなたが今まで送ってきた人生とはどういう人生だったか。それについて質問されるから川べりに着くまでまとめて置くように」

お花畑を歩きながら社長さんは、

・あんなこともしたなぁ

・こんなこともしたなぁ

と、自分の人生を振り返った。そして今までやってきた業績をまとめていった。川べりに着くと、こんな声が聞こえてきた。あなたは自分の人生をどれくらい楽しんできましたか?

 社長さんは、はて?と困り果ててしまった。やってきた業績についてはいくらでも話せると思って、意気揚々と川べりまで歩いてきたのだが、神様が聞いたのは業績ではなく、「どれくらい人生を楽しんできたか」ということだったのだ。その声の主は、業績などまったく関心がない様子だった。いくら考えても「楽しくやってきた」という記憶がなかった。じっと黙っていたら、「あなたは人生を楽しんでこなかったのですね。」と言った。「はい」と言うと、「あなたの人生は失敗です。もう一度やり直し!」と言われた。その瞬間、社長さんは息を吹き返し、この世に戻ってきた。

 

 その日から社長さんは人生を楽しく生きることに切り替えた。そのとき、「楽しく生きるということは、自分がどれだけ周りから喜ばれているかである」ということを教えられた。なるほど、楽しい人生とは、ただ能天気に生きる快楽主義ではなく、「あなたがいて良かった」と言われる人生を送ること。

 私たちの日常の中に、どれほど「楽しさ」を見付けられるだろうか。社会を見回すと、悲惨な事件や事故と、私たちは背中合わせにいる。いつ来るとも分からない自然災害は常に不安の陰を投げかけてくる。でも、そう暗く考えずに、そういう中でも自ら進んで、周囲の人から「ありがとう」と言われるような生活を心がけてみよう。

 あのマザーテレサも、あのスラムと化した街の中で、貧困を恨んだりするのではなく、自分の存在が必要とされ、喜びに満たされていたのではないだろうか。「楽しさ」とは、日常の中の親子や夫婦、友だち、お客さん、同僚など、周りの人間関係の中に見出すものだ。そういう人たちと楽しい思い出をたくさんつくろう。いつか「この世」をちゃんと卒業できるために。