元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

絶望のどん底で覚悟を決めることが、希望への最初の一歩

 今日は天気が少し回復したので、農作業に勤しみました。が、風がちょー冷たい。ブルブル震えながら「雪菜の菜花」の収穫作業をしました。

 初収穫の野菜もありました。大根とアスパラと紫水菜です。まずは、自宅で食べてみて、美味しかったら出荷です。(笑)

初収穫の野菜

 ところで、桃野さんの記事が更新されました。いつもながら納得の内容です。ベストセラーとなった『チーズはどこへ消えた?』に関連して鋭く考察しています。(笑) 抜粋して引用します。

桃野泰徳:大ベストセラー『チーズはどこへ消えた?』の本当の意味 | Books&Apps (tinect.jp)

チーズはどこへ消えた?』といえば、1998年に米国で初刷が発売され、日本国内で450万部、全世界で2,800万部を超える大ベストセラーになった一冊だ。

・・ではこの一冊、一体何がそこまで世界の人々を魅了したのだろうか。

以下、ネタバレにならない程度で少し、要約してみたい。

この本では、2匹のネズミと2人の小人が主人公として描かれている。

彼らはある日、迷路の中で溢れんばかりのチーズの山を発見する。

そして毎日その場所に足を運び、お腹いっぱい食べ続け、幸せな毎日を過ごす。

しかしチーズを食べ続ければ、いずれ無くなるに決まっている。

そしていよいよチーズが底をついた時、真っ先にその場を離れたのは2匹のネズミだった。

もうそこに希望はないのだから、新しいチーズを求めて次の冒険に出掛けたわけだ。

一方、小人2人はいつまでもそこを離れようとしない。

今までここにいて幸せだったのだから、この毎日がまだ続くかもしれない。

もしかしたら、明日にはまたチーズがどこからか現れるかもしれないじゃないか。

そう考えて二人は、連日その「チーズの跡地」に足を運ぶ。

そんな無駄な毎日を過ごしているうちに、小人の一人はその場所に見限りをつける決心を固めた。

「もうここにチーズはないのだから、勇気を持って旅に出よう」

しかしもう一人の小人はそれに反対し、とどまり続ける道を選ぶ。

物語の結論はそれぞれで確認して頂ければと思うが、ネットや書評サイトにあふれる読後感の多くは、こういったものだ。

「変化する環境に適応する重要性」

「恐怖を振り払い、変化を受け入れる勇気」

確かにこれらのメッセージ性は、物語の骨格だろう。

主要通販サイトでの著作紹介でも同様のメッセージで説明されているので、その事を否定するつもりはない。

しかし世界中の愛読者にケンカを売るようで恐縮だが、そのような“学び”は、余りにも一義的に過ぎるということはないだろうか。

この物語は、人間が持つもっと大きな「弱点」をこそ、物語っているということはないだろうか。

 

・・・「変化する環境に適応する重要性」「恐怖を振り払い、変化を受け入れる勇気」なぜこのような理解を、一義的に過ぎると考えているのか。

繰り返すが、このような理解は物語の骨格であり、何も間違っていない。

しかしそれは、文字を追っていけば自然に流れ込んでくるメッセージであり、いわば目に見える情報だ。

その一方で、もはやチーズなどないのに、そこに留まり続けることを決める人の心理は、何を表しているのか。

「偽物の希望ほど、タチの悪いものはない」

人が持つ、そんな心の弱さを描写しているのではないだろうか。

想像してほしいのだがある日、突然解雇され、預貯金も底をついた時、それはつまりチーズを食い尽くした状態だが、その瞬間にこんな声を掛けられたらどうだろう。

「指定されたところに行って現金を受け取るだけで30万円。そんなアルバイトしませんか?」

子供の学費や住宅ローンの支払いがあり、目先どうしてもお金が必要であれば、そんな偽物の希望に抱きつきたくならないだろうか。

これはさすがにあからさまであっても、もっと巧妙な誘いは世の中にいくらでもあるだろう。

人は心身ともに追い詰められると、まるで砂漠のオアシスのような偽物の希望を心に作り出して、それにすがってしまうということだ。

 

・・・意外に思われるかも知れないが、「絶望」というものは、時に人を強くしてくれる。

もうそこに望みはないと諦めがつき、次に何をすべきかの選択に迷いが無くなるからだ。

チーズが無くなった瞬間に迷いなく旅に出た、2匹のネズミのように。

人生では時に、絶望のどん底で覚悟を決めることが、希望への最初の一歩になること。

偽物の希望を心に生み出し、それにすがることこそ、終わりのない絶望に沈んでいく本当の恐怖であること。

チーズはどこへ消えた?』の本質的なメッセージは、そこにこそあるような気がしてならない。