元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

お釈迦様の教えは、「受け入れること」。

 今日はお盆休みの「つけ」を払いました。(笑) 何から手をつけていいやら迷いましたが、優先順位は。①巨大化する野菜の収穫。②秋冬野菜の播種。③草取り。④終了した野菜の残渣処理。・・今日は、①と②に集中しました。 

 夕方、村民4号が来村したので、サツマイモ畑の草取りの支援を要請しました。ピンピンキラリlineの皆様、草取り召集が発せられますので、ご協力ください。(笑)

スッキリしない朝の訪れ。ムシムシ(;´Д`)

日光唐辛子収穫。見るからに辛そう~!!

 ところで、夕方村民4号が突然来たので、「今日は休み?」と聞いたら、今日は日曜日とのこと。近頃、完全に「浮世離れ」が進んでいます。(笑) 

 一方で、現世の「競争」は元気村にはないので、浮世(つらいことの多い世の中)ではなく、天国です。(笑)

 小林正観さんがその著書『もうひとつの幸せ論』(ダイヤモンド社)の中で、お釈迦様の教えは「受け入れること」と解説しています。もう少し早く気づいていれば、もっと楽に生きられたのですがねぇ・・・(笑)抜粋して引用します。

 私たちは、小学校、中学校の教育において、「思いを持って、努力をして、頑張って、必死になって、今ないものを手に入れなさい」「自分の思い通りにすることが幸せである」と洗脳されてきました。 

 でも、お釈迦様の教えは、「受け入れること」。思いを持たないで、目の前に起こったことに対して「そうきましたか」と受け入れてしまうほうがラクなんです。「この人をどうにかしたい」とか、「この状況から抜け出したい」とか「もっと実績を上げたい」と思うから苦しいのであって、丸ごと受け入れてしまえばいい。 

 自分の達成目標、努力目標を掲げ、それに向けて努力してもいい。けれど「努力する人生」「思い通りにする人生」を選んだ人は、「寂しい人」なのかもしれません。 

 自分で階段を駆け上がらなければ、人に評価してもらえないのかもしれません。 外的なものを身につけていなければ、愛されないのかもしれません。 

・愛されたいなら、駆け上がらないで、「今、愛されたらいい」。 

・愛されたいなら、目の前の現象を「受け入れればいい」。 

・愛されたいなら、「自分から愛していけばいい」。 

・愛されたいなら、「喜ばれる存在」になればいい。 

・愛されたいなら、「頼まれやすい人」になればいい。 

 喜ばれるように生きていれば、いつの間にか「自分が喜ばせてもらえる」ような 「よき仲間」に囲まれるようになるのです。