ジャガイモの花が咲き始めました。
今日は、ある団体の「二代目襲名披露式典」に参加してきました。反社会組織ではありません。(笑)
創業者が80歳を超え、頭と身体の切れが鈍くなってきたのに加え、私もNO2として、長年支えてきましたが、前期高齢者となった今、潮時かなと思い、二代目への事業継承を画策し、本日めでたく記念式典となりました。
近頃、後継者不足や墓じまい、空き家問題等これまで連綿として続いてきた文化や風習、制度等が大きな転換期を迎えています。親・子・孫が一緒の家に住むこともめずらしくなってきました。
とはいえ、夫婦のあり方,子育ての大変さ、孫の可愛さ等、人生の大切なことを学ぶのは、すべて家族の関係であり、それが基本となって社会でのあり方、生き方に直結しています。
親が自分の職業の不平不満を子供の前で漏らせば、子供が親のあとを継ぎたくないと思うのは、当然の帰結です。農家の多くは、こんな苦労を子供にさせたくないというのがほとんどです。
どんな職業であっても、不平不満の毎日であれば、後継ぎはおろか、お客様も離れていくだけです。小林正観さんの話を引用します。
どんなことがあっても、「今の様態が今の自分に丁度いい」と思うことが幸せのコツだと思います。船井幸雄氏も、「この世に現れてくることは、すべて必要・必然・ベストだ」と言っています。自分の受け取り方ひとつなんだと思います。
その女性は、立地条件が悪くなったのでお客が来なくなったと言いましたが、そのお店には、これまでお客さんはついてなかったのでしょうか?
私はこのように言いました。
「今まで人の流れのいいところにいて、店の売上げは確保できていたけれど、今は売上げが悪くなったということを、百人以上の人に言いましたか?」
「はい、言いました」
「公言して回った人たちは、その後、お店に来ていますか?」
「いえ、来ていません」
「そうでしょうね。それを聞いた人は、みんな来なくなりますよね」
つまり、私はついてません、天上界から見放されています、愛されていない人間です、と百人以上の人に公言したということ。彼女の話を聞いて、この人のお店に好意を持たないでしょう。
反対に、私はついてるんです、宇宙からも神仏からも、多くの人からも応援してもらっているのですよ、と言うとそれを聞いた人は、「この人のそばにいたら何かいいことがありそう」と思います。
その人がいつもニコニコして、「なんの努力もせず、みなさんのお蔭でここまでやってこれました」と言っていたら、その商業ビルの責任者は、「そんなに運がいい人なら、一等地に据えようか」と思ったかもしれません。
今までその女性は商売を続けることができ、暮らしてこれました。それにもかかわらず、その人の口から出る言葉は、すべて「気に入らない」ということでした。
九千九百九十九個も恵まれた環境にいるのに、気に入らない一つを挙げて、「これをなんとかしてくれ」と文句を言っているのです。 それを聞いている神様は、とても悲しく空しく思うのではないでしょうか。
私たちは、自分がどれほどついているかということに、気がついたほうがいいようです。自分がどれだけラッキーでついてるか、と言っていると周りの状況や人間関係が一変していきます。