元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

やってもやらなくても、誰も批判も評価もしてくれない。

 今日から無人販売に、「キュウリ」も加わりました。夏野菜が順調に育っています。

初出荷のキュウリ

 今日のランチは、出張の帰り道の東根市の「大けやき」。もちろん蕎麦も美味しいですが、この時期のお薦めは、冷たい肉中華。おろしの味が加わって、最高でーす。もちろん、大盛いただきました。(笑)

東根市 大けやき

この看板が目印です。

この時期のお薦め 冷やし肉中華 まいう~

 ところで、仕事にも2種類あって、「命じられてやる仕事」と「自ら創造する仕事」です。私の今の仕事は後者です。どちらが楽かと言えば、「命じられてやる仕事」ですが、どちらが楽しいかと言えば、「自ら創造する仕事」です。

 自ら創造する仕事には、「管理」されることが少なく、やってもやらなくても、批判されることも評価されることもありません。長期間の取り組みが必要だからです。これが一番苦しいと感じます。毎日自分自身と正面から向き合うことが必要だからです。

 自分の人生も同じで、やってもやらなくても、誰も批判も評価もしてくれません。自分自身で向き合うしかないのです。

 どこへ向かって進むのかの参考として、稲盛和夫さんが、その著書で次のように書いています。誰も指導してくれないし、管理もしてくれません。自分で決めて、自分で人間性を高めるために、日々努力していくしかないのですね。

 死を迎えるときには、現世でつくりあげた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、「魂」だけ携えて、新しい旅立ちをしなくてはなりません。

 だから、「この世に何しにきたのか」と問われたら、私は、「生まれたときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。

 様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息絶えるその日まで、倦(う)まず弛(たゆ)まず一所懸命に生きていく。その日々を磨砂(みがきずな)として、人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。

私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。