元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

法は、人間の堕落の所産

 今日は、妻の実家からのSOSで、玉ねぎの吊り下げ作業を手伝ってきました。後期高齢者となり、足腰の弱ってきた義父にとっては辛い作業です。最初に、ロープの両側で2~3個づつ括り、天秤になるようにします。その後、茎と根を切り落として完成です。日陰で、風通しのいい場所に吊るしておくと、春先までの、保存食となります。

新玉ねぎ まいうー 

ひもで括ります

吊り下げて完成

 ところで、浅田次郎の流人道中記(下)の中に、「道徳という礼を、私たちの功利や我欲によって失ったゆえに、法という規範が必要になった。」とありました。なるほどです。「ルールがしっかりしている。」というのが先進国の証ですが、果たしてそうなのでしょうか。(笑)

       流人道中記 感動巨編です。(笑)

 本来はおのおのが心得ねばならぬ当然の道徳こそが礼。功利や我欲によって礼を失ったゆえに、法という規範が必要とされるようになった。すなわち、僕らが全能と信ずる法は、人間の堕落の所産に過ぎぬのです。思えば、孔子様の五常の訓えの中に「法」はありません。人が常に守らねばならぬ徳目に含まれていないのです。仁義礼智信。人がみな神に近かった清廉な時代には、法によって戒める必要などなかったから。