元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

人に勝つためではなく、幸せになるために生きている

 今日も気持ちの良い農作業日和でした。玉ねぎの苗が少し残っていて「もったいないなぁ~」ということで、「こかぶ」の後作に定植してみることにしました。まだ「こかぶ」を全部収穫できていませんが、共存共栄してもらうことに・・・(笑)

「玉ねぎ」と「こかぶ」の共存共栄

今日も一日、ありがとうございました。

 ところで、和田秀樹さんがその著書『脳と心が一瞬で整うシンプル習慣 60歳から頭はどんどんよくなる!』(飛鳥新社)の中で、「60代以降、うつ病のリスクは上がる」と解説しています。原因は、「物事を優劣や勝ち負けの中でとらえようとする」からなのだそうです。そのとおりだと思います。勝ち負けではなく、「我らの希求する社会は、共存共栄全世界の平和である」なんですがねぇ・・・。「私たちは人に勝つためではなく、幸せになるために生きている」ということなんですよね。(笑)

・・私は、人と自分を比較するという行為は、賢く生きるということとは対極にあるものだと思っています。

 60代以降、うつ病のリスクは上がります。その大きな要因は、あらゆる面で個人の差が広がる年代に入ってくるからでしょう。

・自分は定年退職したが、あの人はまだ社会で活躍している。
・自分は家族を失くしたが、あの人の家族は元気だ。
・自分は体の調子がずっと悪いが、あの人はいつ会っても元気だ。

 そんなふうに、さまざまな要素で違いが生じやすいがゆえに、「あの人に比べて自分は恵まれていない」と、差を痛感したときに落ち込んでしまうのです。

 こういった感情には致し方ない部分もあると思います。けれど、老年期に差し掛かった今こそ、ぜひ「私は私」を合言葉にしてみてください。幸せは、外野や人の状況によって左右されるものではありません。あなた自身の尺度で決めるものです。

 物事を優劣や勝ち負けの中でとらえようとすると、人生はとても生きづらく、後ろ向きなものになってしまいます。上には上がいますし、価値観もさまざまです。何かを比べ出したらキリがなく、劣等感にも頻繁に苛まれることになるでしょう。

 そして、「下を見て安心しようとする」こともまた、自分の進化を妨げてしまうことにつながります。どん底に落ちたとき、自分より状況が悪い人を見て満足したくなるのは、わからないことではありませんが、生産的とは言えません。

 学生のケースを例にすると、最終的に望んだ成果を手にするような生徒は、たとえ成績が下降してきたときも、諦めないで上を目指し続けます。けれど、「自分より成績の悪い人がいるからまだ大丈夫」と安心しているような生徒は、さらに成績が下がっていってしまうのです。

 恥ずかしながら、私もかつては勝ち負け思考の強い人間でした。子どもの頃から「常に人より賢くありたい」と考えるタイプだったのです。

 たとえば学生時代、自分が成績上位になってからは気分よく過ごしたのですが、勉強が嫌になって成績が悪かった頃は、いつも不機嫌で、クラスメイトのちょっとしたいたずらにも腹を立てたりしていたものです。

 けれど、さまざまな経験を重ねたり、たくさんの高齢の方々を診療したりするなかで、人生観が変わっていきました。

 社会的に成功を収めていても、いつも不満そうにしているシニアがいる一方で、金銭的にそこまで余裕がなかったとしても、楽しそうに日々を送っているシニアもいます。そういった様子を目にするうちに、「人生を勝ち負けでとらえることに、あまり意味はないんだな」と思うようになったのです。

 そういった考え方の変化があったからなのか、最近では周囲から「和田さんは、なんだか昔より表情が明るくなりましたね」などと言われるようになりました。

 私たちは人に勝つためではなく、幸せになるために生きています。だからこそ、誰かと幸せのレベルを比べっこするのは、「無意味」以外の何物でもありません。

 人に負けない方法や人の優位に立つ方法を探し求めるのではなく、自分がどうやったらハッピーでいられるか、その方法を模索するほうが、はるかに賢明ですし、上機嫌な人生を叶えてくれると思います。