元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

どうすれば他人を幸せにすることができるのだろう?

 今日は午前中、「定期健康診断」でした。3日間の禁酒の甲斐あって「無罪放免」を勝ち取りました。今日は飲むぞー!!(笑)

 午後からは、元気村の原住民たち村民1号~3号までが勢ぞろいし、11月2日の「サツマイモ掘り体験&芋煮会」の準備のため、サツマイモの「ツル」を撤去する作業を行いました。これで当日は、すぐにサツマイモが掘れるようになります。

 また、あいにく当日は「曇りのち雨」の予報なので、念のためお土産用のサツマイモを事前に掘り、参加者の皆さんに喜んでもらえるよう、万全の態勢でお迎えします。(笑)

サツマイモの「ツル」を撤去しました。

 ところで、(株)本物研究所の佐野浩一さんが、ブログの中で『商売・ビジネスの原点は、「どうすれば他人を幸せにすることができるのだろう?」という考えから出発する必要がある』と書いていました。

 納得です。抜粋して引用します。

・・あるとき、「自利利他」という仏教用語に出会いました。その意味するところは「自らの悟りのために修行し努力することと、他の人の救済のために尽くすこと」だといいます。もう少しわかりやすく言うと、他人の幸せ・他人の利益のために修行・努力することが、ひいては自らの利益にかなう……、ということです。

 あの稲盛和夫先生も、常に「利他に尽くせ」と言っておられますよね。企業の経営理念にもこの言葉が引用されている事例は数多くあります。たしかに、この精神は商売の基本でもあるからだと理解することができます。

 ある社長さんが、ブログにつぎのような逸話を書いていらっしゃいました。

昔々、あるところに一人の男がいた。
その男は、耕作する土地ももっていなく、しかも狩をしようにも大変下手で、これはもう生活していくためには誰か人にでも雇ってもらうしかないと、こうおもって旅に出た。
ある時、内陸の村に立ち寄った。
その村は塩が足りなくて大変苦しんでいた。
塩は生活必需品なので、非常に村人たちは困り果てていた。
その男は、気の毒だな、かわいそうだなと思ったが、何もすることが出来ずに、無念にもその村を去った。
しばらく旅を続けていると、今度は海沿いの村に行くことがあった。
その村の人は海沿いなので、塩はふんだんにあるが、米が不作。
米がなければ餓死してしまうので大変困っていた。
この男はその村の人をなんとか助けたいと思って、ずっと悩んだ時にハッと思いついた。
そうだ、あっちの村には米がたくさんあった。
向こうは塩がなくて苦しんでいた。
あっちの米をこっちにもって来てもらい、こちらの塩をあちらに持って行ったら、お互いの人が助かるのではないかと、その男は思った。
そう思った男は、二つの村に掛け合って、流通させることを提案した。
そうしたところ、この二つの村の人みんなが幸せになった。
そして、その二つの村の架け橋になって尽力したその男も大変感謝され、得もした。

 困ったことを、「なんとかしたい」と思わなかったらこのようなアイデアはそもそも出てこなかったのではないかと思います。そもそも、商売って、少々きれいごとを言うと、人々の苦しみや悩みをなんとかできないか、人々を少しでも幸せにできないだろうか、そう考えることが原点であると思っています。
 いや……、そう考えることなしに、大好きだった教員という仕事を辞めて、舩井幸雄の元に来ることはなかったと振り返っています。
 だから、相手の苦しみに鈍感である、また人を幸せにしたいという気持ちがないというのでは、それはきっと商売には向いていない……ということになる。そう、自分自身を戒めてきたつもりです。
 やはり、商売・ビジネスの原点は、「どうすれば他人を幸せにすることができるのだろう?」という考えから出発する必要があると考えます。
 そもそも、商売というのは、誰かに損をさせて自分が得するというものであってはいけないですね。そうして一時的に利益が出たとしても、長く続くはずがありません。その原点は、商売をする「相手の利益」を叶えることがなければ、成立しないのです。これは、これまでお付き合いいただいている諸先輩方から、ことあるごとに学ばせていただきました。
 「何をさせていただけたら、喜んでお金を払ってもらえるのかを考え、実行すること!」が大事……!それでも、今の経済状況やマーケットは、そればかりではやっていけないことも事実……。悩ましいものです。
 だからこそ、あらためて、お客さまの求めるものは何か? そのために自社ができることは何か? を考えるきっかけにしようと思っています。