元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

自分がラクに生きるための「奥義(おうぎ)」

 今日は、午前中パラパラと雨は降りましたが、過ごしやすい気温でした。が、午後から一転、一気にとんでもない汗が吹き出すような気温になりました。思わず「生ビール!!」と叫びました。(笑)

丸ナス大量収穫

もう秋野菜の播種が始まりました。(;^_^A

 ところで、出会う人すべてと仲良くできるわけではありません。とはいえ、なかなか許せそうにない人とも仲良くしなければならない状況(環境?)の場合もあるので、それは相当なストレスになります。逃げようにも逃げられない場合はどうすればいいのか。

 小林正観さんがその著書「100%幸せな1%の人々」(中経出版)の中で、「ボーッとした人」になりましょうと提唱しています。なるほどです。抜粋して引用します。

「私」の心の広さを仮に「扇(おうぎ)」にたとえます。その扇の広さが90度の平均的寛容度だと思ってください。そして、その90度の外側に、自分にとって許せない、あるいは我慢できない人が存在するとしましよう。
その外側にいる人を、自分の90度の枠内に連れてこようとします。その人が自分の価値観や許容範囲の中に入ってきてくれれば何の問題もないのですが、そうそう簡単には入ってきてくれません。そこで悩み、苦しみ、ストレスを感じるわけです。
もし、自分の90度の許容度・寛容度を広げることができ、相手を受け入れることができたならば、そこで問題は消滅します。イライラも腹立ちもなく、相手を受け入れたのですから、相手が自分の許容範囲に入っているということになります。
仮に許容範囲が120度になったとき、130度目のところに、また人が現れたとします。その人を「私」自身が認め、受け入れてしまえば、「私」の心の領域が広がり、またイライラがなくなります。
結局、その人を受け入れること、「そういう価値観の人もたしかにいるよね」というふうに、「私」の心の許容範囲を広げたことで、ラクになるのは向こうではありません。「私」自身がラクになるのです。
ですから、その現れてくれた人は、常に「私」の心の許容範囲を広げてくださる方(扇の範囲を広げてくれる方)だと思ってみたらどうでしょうか。その人のおかげで「私」はやがて180度のきれいな扇の広がりを持つことになります。
「どんな人が現れてもまったく感じない人になってしまう」「いちいちイライラを感じない人になってしまう」という意味で、私はこの人を「ボーッとした人」と名づけました。
90度の広さを平均的な許容範囲とすると、その3分の1の30度や、半分の45度の許容範囲の人は「心の狭い人」、あるいは「ピリピリした人」という言い方をします。
ですから、「ピリピリした人」よりは「ボーッとした人」の方が、実は自分自身もラクであるということがいえるのです。

人のためではありません。その相手のためではなく、自分が「つらくない」「いちいち腹を立てないですむ」という意味で、この方法は自分にとって最良の方法です。
心の「扇(おうぎ)」を広げること。これこそがまさに、自分がラクに生きるための「奥義(おうぎ)」なのです。
「私」がボーッとし、いちいち腹を立てず、過剰反応せず、一喜一憂せず、ありとあらゆることを笑顔で迎え入れ、自分の許容範囲を広げていくことができたら、「私」自身が一番ラク
そしてよく考えてみると、自分の平均的な90度の扇の広さを、その外に現れた人が広げてくださったおかげで、自分の心が広がり、許容度・寛容度が広がったということになれば、その人に「私の心を広げてくれてありがとうございます」と言えるのではないでしょうか。
目の前に現れる人、一人ひとりが「私」の許容度・寛容度を広げてくださる人なのかもしれません。そのことに気がついたら、「私」が嫌悪を感じる人であっても、その人が現れてくれたことに感謝できそうです。