元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

ぼーっとする時間

 昨日は出勤日で、久々に「夜の一番町」をはしごしました。そして今朝はちょうどいい恵みの雨。二日酔いもあり、午前中、ボーっとしてました。(笑)

 ニュースで見ましたが、東京港区で「ぼーっとする大会」が開かれたようです。主催者曰く、「自分の周りの人たちが忙しそうにしているので、一緒に集まって“ぼーっとする”ことが必要だと思って企画しました」 忙しいことが美徳とされる現代において、生き方を見つめ直すきっかけにして欲しい――そんな思いから、この大会が始まったそうです。

 

 そういえば忘れていました。スローライフのための「元気村」だったのに、現役の頃よりめっちゃ忙しくなっています。やばいよ。やばいよです。(笑)

リニューアルした元気村のサイン

 ところで、ぼーっとすることの大切さを説いた話があります。フランスのノーベル賞作家のアナトール・フランスの随想録で ある『エピクロスの園』 (大塚幸男訳、岩波文庫) から引用します。

 あやうく、自分の人生が四か月と六日で終わるところでした。(笑)

 九年級の受け持ちのグレピネ先生が、教室で、「人と精(精霊)」という寓話をわたくしたちに 読んで聞かせられた時、わたくしはまだ十歳にもなっていなかった。とはいえわたくしは あの寓話を昨日聞いたよりもはっきりと思い出す。

 ある精が一人の子供に一つの糸毯(いとだま)を与えていう。「この糸はお前の一生の日々の糸だ。これを取るがよい。時間がお前のために流れてほしいと思う時には、糸を引っぱるのだ。糸毯を早く繰るか永くかかって繰るかによって、お前の一生の日々は急速にも緩慢にも過ぎてゆくだろう。糸に手を触れない限りは、お前は生涯の同じ時刻にとどまっているだろう。」 

 子供はその糸を取った。そしてまず、大人になるために、それから愛する婚約者と結婚するために、それから子供たちが大きくなるのを見たり、職や利得や名誉を手に入れたり、心配事から早く解放されたり、悲しみや、年齢とともにやって来た病気を避けたりするために、そして最後に、かなしいかな、厄介な老年に止めを刺すために、糸を引っぱった。

 その結果は、子供は精の訪れを受けて以来、四か月と六日しか生きていなかったという。