元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

で?成果につながることを言ってください

 今日は、伸び放題になっていた元気村の「居久根(いぐね)」を「芯止め」しながら、蔓延った枝を落としました。朝9時過ぎから夕方4時まで、めいっぱいかかりました。疲れ果てました。(笑)

チェーンソーでザックリ

落としたものは拾わないと・・・

 ところで、12月8日は、ある組織(笑)の会議があり、活発な議論になるように、四苦八苦しながら運営の在り方を模索していますが、生成AI活用支援のワークワンダースCEOの安達裕哉さんが、『大した価値も出せていないのに、「自分の意見は尊重されてしかるべきだ」と思っている人間は、呆れられて、無視されるだけです。』と、とても厳しい組織の現実を説明しています。

 まぁ、そのとおりなのですが、ややもすると価値のない意見を発言した人の「人格まで否定する」組織風土があるので、そこだけは最低限守って欲しいと思います。引用します。

他者の意見。考慮はするが、尊重はしない。 | Books&Apps

 他者の意見を、「尊重しよう」という人がいます。皆の意見を「大事にしよう」という組織があります。そう考えること自体は、別に良いと思います。

 が、私が現場で教えられてきたのは「価値があれば尊重せよ。そうでなければ相手にしなくていい。」でした。もっと平たく言えば「考慮はするが、尊重はしない。」という態度です。

 どういうことか。「尊重」という言葉の意味は、日本国語大辞典によれば、「価値のあるものとして大切に扱うこと」です。つまり、「皆の意見を尊重しよう」という考え方は、他人の意見は、デフォルトでは価値あるものとして扱いなさい、という発想だと思います。美しいですね。

 しかし、学校を卒業し、私が社会人で経験したのは、「尊重されるのは、価値のあるものだけ」という現実でした。

 実効性の高いもの。顧客の満足を高めるもの。生産性を向上させるもの。良い仕事につながるもの。そういった「意見」は歓迎されます。

 しかし、「バカな意見」「実効性のない計画」「現実を見ない理想論」といった、「時間の無駄」に関して、それに対していちいち「大事だね」と尊重するなど、現場ではありえません。「はいはい。で?成果につながることを言ってくださいよ。」で、おしまいでした。

 ですから他者の意見は、現実にはデフォルトで「尊重」ではなく「保留」という事になります。

 

 「冷たすぎるだろう」「人を何だと思ってるんだ」「傲慢だ」という意見が聞こえてきそうですが、これは、皆の生活を守るためでした。

 つまり、ただでさえ忙しいのに、仕事において「くだらない意見につきあうこと」自体が、皆の仕事の質、ひいては生活のレベルを下げることにつながる。

この考え方です。

 だって、そうでしょう?皆の時間は無限ではありません。いちいち他人に配慮して「尊重」をしていたら、いつまでたっても何もできないのです。

 かくいう私も、会社の会議で「意見が尊重されている」と感じたことは一度もありませんでした。いい意見なのか、くだらない妄言なのか。それだけが、判定の対象となる。

 「くだらないこと」を言えば、「なるほど」といったん受け止めてはもらえますが、そのあと「意味が通じませんね」「解決になりませんね」「関係ないですね」と言われるだけです。

 ただ、誤解の無きよう申し上げますが、「尊重」されないからといって、それが「失礼」だとは思いませんでした。なぜかというと、「考慮」の対象だからです。すくなくとも、発言されたことについては会議の出席者の皆が、一度は「考慮」する。価値をジャッジされる。もちろん意見を出すことは、大変な緊張感が伴いますが、仕事なのでやらねばなりません。

 逆に、そういうことを通じて、くだらない意見が出たときに暗に発される「お前の言っていることは、マジでくだらねえ」というメッセージをその場から受け取れなけば、改善もないので、ある意味それは重要なのだともいえるわけです。

 

 最近では、多様性やら、心理的安全性という言葉が強調されすぎて、「皆の意見を尊重しよう」という考え方が先走っている組織があります。

 人の会社ですから、それに対してどうこう言うつもりはあまりないですが、本当にくだらない意見なのに、「意見をありがとうございます」とか言っているのは、どう考えても健全ではありません。バカな意見には「その意見は却下」と、はっきり言わなければならない。

 もちろん、人の意見を、よく考えもせずにバカにしたり、無視したりするのは、正しい態度ではありません。というよりも、ダメな態度です。

 しかし、皆の意見を尊重しましょう、という態度も、病的です。中身に関わらず尊重しようと考えることは、それもある意味、人を馬鹿にしていると考えたほうがいい。

 そう考えていくと、「他者の意見。考慮はするが、尊重はしない。」という態度くらいが、ちょうどいいような気がします。

 

 余談ですが、「市場」というのは、これをもっともよく体現していると思います。つまり、商品や作品を見たときの人間の反応が、「考慮はするが、尊重はしない。」なのです。いや、ブログやSNSも同じかもしれません。少なくともつまらない文章は誰も尊重しません。

 売り場で、ダメな商品を「尊いですね」という人はいません。選択肢として「考慮」はされますが。仕事における「意見」も、一種これと同じだと思うのです。

 小学校では「お友達の言ったことは大事にしようね」でよいかもしれませんが、社会においてそれは現実とは異なります。もちろん、誰も面と向かって「お前はバカだなあ」とは言わないと思います。失礼ですからね。

 が、大した価値も出せていないのに、「自分の意見は尊重されてしかるべきだ」と思っている人間は、呆れられて、無視されるだけです。残念ながら。