元気村「村長通信」

自給自足コミュニティ、活動日誌。

ものごとの良い面と悪い面は表裏一体。

 昨日の台風の大雨で、畑に入るのは無理でした。が、なんとか明日出荷予定の「こかぶ」だけはと・・・泥だらけになりながら収穫しました。(笑)

 

地獄に引き込まれる提婆達多(Wikipediaから引用)

提婆達多 - Wikipedia

 ところで、夫婦は鏡と言われるように、いい具合に「縁」を持つようになっています。なので、相手ばかりを責めている夫婦を見ると「どっちもどっちなんだけどなぁ・・・」と思うのですが、本人たちは一向に気付きません。(笑)

 樹木希林さんがその著書『一切なりゆき 樹木希林のことば (文春新書)』の中で、「夫は私にとって提婆達多(だいばだった)みたいなものだ」と説いています。抜粋して引用します。

・・わたしにとってお経を読むのは、日常的なことなんです。お経の中の言葉が、生活の中で、ふっと口をついて出て来ることもあります。

 たとえば、この映画(『神宮希林 わたしの神様』2014年公開)の中でも、私は「夫は私にとって提婆達多(だいばだった)みたいなものだ」という表現をしています。 

 提婆達多はお釈迦様の従兄弟で、最初は同じ教団内で活動していたものの、やがて反逆し、お釈迦様を殺害しようとまでした人物です。

 しかしお釈迦様は、提婆達多がいたからこそ、見えてきたものがあるとおっしゃっています。

 自分にとって不都合なもの、邪魔になるものをすべて悪としてしまったら、病気を悪と決めつけるのと同じで、そこに何も生まれて来なくなる。ものごとの良い面と悪い面は表裏一体、それをすべて認めることによって、生き方がすごく柔らかくなるんじゃないか。

 つまり私は、夫という提婆達多がいたからこそ、今、こうして穏やかに生きていられるのかも知れません。皆さまもご存じのとおり、夫は、俺の神はロックだと言うような人で、思いこんだら一筋。そのため何かと騒ぎを起こしてきました。

 傍からは、私がちゃんとしていて、あの人がめちゃくちゃというふうに見えるかも知れませんし、まあ、実際その通りでもあるのですが、私の方にも、あの人と一緒になってから、自分が、これほどいさかいの好きな女であることがわかったという面もあります。肋骨が折れるほどの大喧嘩をした日さえありました。

 よくもまあ、あれほど激しくやり合えたものですが、自分の中にも、何かどうにもならない混沌とした部分があって、それが、内田さんという常にカッカしている人とぶつかり合うことで浄化される。そういう部分もあったのではないかと、今は思うのです。

 誰もが自分にとっての提婆達多 (だいばだった)  を持っているし、それと同時に、自分も誰かにとっての提婆達多になりうる。我々は、互いが互いにとっての提婆達多なんです。だから、人に何を言われても別れないんでしょうね。 (「全身がん 自分を使い切って死にたい」2014年5月)